平成26年7月18日(金)  目次へ  前回に戻る

 

いよいよ明日はほんとに休み。しかも三連休! でも必ずまた月曜日の夜が来て、次の日から平日になるのだ・・・と思うと今日からウツ。

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清の時代。

王廷佐なるおとこ、夜中に馬に乗って家に帰る途中で馬が突然立ち止まって進まなくなった。

「どうしたのだ?」

闇を透かして見ると、

黒暗中見大樹阻去路。素所未有也。

黒暗中に大樹の去路を阻むを見る。もといまだあらざるところなり。

真っ暗な中に、巨大な木が行く手を阻んでいるのがぼんやりと見えた。こんな木は普段は無かったはずである。

「見たこともない木じゃがのう・・・」

と首をかしげぶつぶつ言いながら馬の向きを替えて木のかたわらを通り過ぎようとした。

が―――

「む? む?? む???」

どういうわけか、

此樹四面旋転、当其前盤繞。

この樹、四面旋転し、その前に当たりて盤繞せり。

この木は、四方にぐるぐると移動して、つねに廷佐が行こうとする方向にごつごつと根をひろげているのである。

「こんなバカなことがあるか? ・・・あるか? ・・・あるか?」

しかしどちらへどう向きを替えても、その木は正面にあるのである。

「ど、ど、どうしたらいいのだ」

数刻、馬漸疲、人亦漸迷。

数刻、馬ようやく疲れ、人またようやくに迷えり。

しばらくの間、あちらに向いたりこちらに向いたりしている間に、馬はへとへとになってきたし、自分は大混乱してきた。

「いったいどうなっているのだ――――!」

と大いに困じていたとき、耳にふと聞き慣れた声が聞こえてきた。

「えーと、あれはたしか・・・」

――――さて。

その日、近くでは木工(大工)の寄合があった。

その帰り道、国某と韓某という二人の大工のほろ酔い機嫌の目に、

見廷佐痴立。

廷佐の痴立せるを見る。

知り合いの王廷佐が、馬に乗ったままぼうぜんと立ちすくんでいるのが見えたのである。

「おい、王さん、どうした!」

「しっかりしろよ」

と声をかけると、廷佐は二人を振り向き、

指以告。

指さして以て告ぐ。

指であらぬ方をさして、

「そこに大きな木があってー、そいつはわしの行く方向の正面に必ずあるのだー」

と言うのだった。

「はあ?何を言っているのだ? そんなところに木なんか・・・」

「おい」

国某は韓某に腕をつつかれて、何かに思い当たったようである。

「そうか、なるほど、あれか」

「あれだろう」

二人は頷きあうと、「いっち、に、の、さん」と息を合わせて、

斉呼曰仏殿少一梁、正覓大樹。今幸而得此、不可失也。

斉(ひと)しく呼びて曰く、「仏殿に一梁を少(か)き、まさに大樹を覓(もと)めたり。今さいわいにしてこれを得、失うべからず」と。

声を揃えて(何かの呪文のように節をつけながら)唱えた。

お寺を建てようと思うたで、ちょうど大きな木を探しておった。

ああ、ありがたや、ここにこんな木があった、ゆめゆめこれを失うな。

唱え終えて、

各持斧鋸奔赴之。

おのおの斧・鋸を持して奔りてこれに赴く。

二人、それぞれにオノとノコギリを袋から出して手に持ちかえ、廷佐が指さしたところめがけて駆け寄ったのだった。

すると、その瞬間。

廷佐の目には

樹倏化旋風去。

樹、倏(しゅく)として旋風に化して去りぬ。

木は、たちまちつむじ風に姿を変えて、飛び去って行った・・・

と見えた、という。

これは木妖(木の妖怪)の見せるマボロシであったのである。

読書人諸氏には先刻御存知のとおり、「陰符経」(※)には

禽之制在気。

禽の制は気に在り。

気の力を使えば、鳥さえも操ることができる。

 ※「陰符経」は超古代の伝説の聖人・黄帝の著作と伝えられ、太公望、張子房、諸葛孔明らが注をつけた、といわれる兵法書。もちろん偽書。

という言葉がある。さらにこの例のように、

木妖畏匠人、正如狐怪畏猟戸。

木妖の匠人を畏るること、まさに狐怪の猟戸を畏るるが如し。

木の妖怪が大工さんをこわがるのは、キツネの妖怪が猟師さんをこわがるのとも同じである。

これらは、

積威所劫、其気焔足以懾伏之。不必其力之相勝。

積威の劫(おびや)かすところ、その気焔のこれを以て懾伏(しょうふく)するに足るなり。必ずしもその力の相勝にあらず。

長い間に積み重なった威厳に負けるのだ。(大工さんや猟師さんの)「気」が炎のように噴きだしているので、それに怯え従わざるを得ないのである。このことはこのように「気」によって説明できるのであって、じゃんけんのように何が何に勝つ、ということがあらかじめ決まっている、という理論を持ちだす必要はないのである。

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清・紀暁嵐「閲微草堂筆記」巻五より。

勉強になるなあ。最後にリクツをつけないと気がすまないのがこのひとの特徴です。そう思って読むと微笑ましくさえなる。

わたくしども、平日の間は王廷佐のように、前に進んでも右を向いても左を向いても後ろに下がってもマボロシの壁に突き当たっておろおろしているのだが、休日になるとようやく自分を取り戻し、目が覚める。今回は三日間ぐらいは本来の自分に戻り目が覚めているはずですが、また月曜の夜あたりから周囲に壁が出来はじめて、本当の世界から隔離されてしまうのであろう。ああ、この「妖」を祓ってくれる者はいないのだろうか。

 

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