←「神○鬼●」ぶた忍者
の○と●に当て嵌まる文字を選んでみよう。
1 ○ 出 ● 没
2 ○ 岩 ● 正美
3 ○ 田 ● 子母神
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とりあえず今日は休み。しかしあと二日経つと平日が・・・。
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誉人者人誉之、謗人者人謗之。
人を誉むる者は人これを誉め、人を謗る者は人これを謗る。
他人を誉める者は他人もそのひとを誉め、他人を謗る者は他人もそのひとを謗るものである。
だから、
君子能罪己。斯罪人也。不報怨。斯報怨也。
君子はよく己を罪す。すなわち人を罪すなり。怨みを報ぜず。すなわち怨みを報ずるなり。
立派な賢者は、「自分にこそ責任がある」ときちんと認識することができる。これはすなわち、逆に他人に(もしかしたら自分に責任があったかも・・・)と考えさせることになり、そのひとに責任を問うのと同じことなのである。
怨みがあってもこれに復讐することはない。これはすなわち、相手に(自分は復讐されてしかるべきなのに復讐されないのは、自分で反省しろということなのか・・・)と考えさせることになり、そのひとに復讐したのと同じことになるのである。
なのだそうです。
さて―――
「神弓鬼矢」(神霊の弓と精霊の矢)ということばがある。
神弓鬼矢不張而発、不注而中。
神弓・鬼矢は張らずして発し、注せずしてあたる。
神霊の弓や精霊の矢というものは、弓を引き絞らなくても矢が飛び出したり、狙いもしないのに的にあたる、というのだ。
確かに、偶然が偶然を重ねてたいへんな結果を惹き起こしたような、そんなことが起こることはあります。
天得之以仮人、人得之以仮天。
天のこれを得るは以て人に仮り、人のこれを得るは以て天に仮る。
天の差配でも受けたかのように人が偶然にそんなことを仕出かすことがあるし、あるいは人がそんなことを仕出かすときは天の差配にも似た偶然が働いたりしているのである。
賢者の行動というのはこの「神弓鬼矢」のようなもので、人の力に必ず神霊や精霊の力が加わって、しかるべき結果につながっているのである。
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五代・譚峭「斉丘子」(仁化第四)より。
社会はコワいです。おいら、これまでずっと神弓・鬼矢に頼って生きのびてきました。これからも偶然みたいなのにすがって生きていくしかない。おいらは自分でいろいろ予測を立て、人を説得し、物事を成し遂げて行く、なんていうことができるようなタマではないのだから・・・(みなさんがそんなタマかどうかは知りませんが)。
とりあえずは「火曜日が来ない」ように神霊と精霊に禱りながら寝ます。南無。