一日で疲れました。早く週末来ないかな。この週末が来たら、今度こそ山中に入って姿をくらましておう・・・。
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いにしえのひとの詩にいう、
山中何所有、 山中には何の有るところぞ、
山上多白雲。 山上には白雲多し。
只可自娯悦、 ただ自ら娯悦すべく、
不堪持贈君。 持して君に贈るに堪えず。
山の中には何かいいものがあるのですかな?
山の上の方には白い雲がもくもくと湧いている。
ただ残念なことに、こいつは自分ひとりで楽しむべきもので、
持って来てあなたに差し上げるわけにはいかないのだ。
と。
これは南朝の斉の高祖の腹心であったが、功成り遂げた後は廬山に隠棲した陶弘景の詩ですな。高祖は強く引き留めたが弘景の隠棲の志は固かった。高祖が「どんなよいことがあって、山中に隠棲しようとするのか」と問うたときに答えた詩がこの一首であります。(→参考:22.2.7)
弘景の隠棲後も、斉の君臣は決疑しきれぬことがあると弘景のところに使いを送りその判断を求めたので、世に彼を「山中宰相」と称した・・・と云々。
さて、この陶弘景の詩にいいますように、ふつうは山上の白雲は持ってきてひとに贈るわけにはいかない。ところが―――
わたくし(←肝冷童子にはあらず、明・江盈科)と同期で科挙試験に合格した李九疑というやつは、かつて廬山を管轄する九江県の判官を務めたことがあって、そのときの経験を話してくれた。
―――廬山には何度か登ったが、
廬山絶頂有亭嵬然、頗潔飾、毎往游、宿其中。
廬山の絶頂に亭の嵬然たる有りて、すこぶる潔飾、往游するごとにその中に宿る。
廬山の山頂には、そそりたった山小屋があり、非常に清潔で整っているので、廬山に登るたびにそこに宿泊していた。
その宿で目を覚ますと、
至早、白雲従地下起、踊出成塊、如木棉絮、氳氤不絶。
至早、白雲地より下起し、踊出して塊を成して、木棉の絮の如く、氳氤(うんいん)絶せず。
朝早く、白雲があしもとの山腹から起こり、湧き出して塊りのようになる。まるで木棉(きわた)についたワタのようなものが、もやもやと次から次へと現れるのだ。
ふつうのひとはこれを見て「すばらしい」と感動して十分に満足するのであるが、
好事者持潔浄磁瓶、将手挽雲至瓶内、以満為度、用紙及布絹畳封其口。
好事者、潔浄の磁瓶を持し、手を将ちて雲を挽(ひ)きて瓶内に至らしめ、満を以て度と為して、紙及び布絹を用いてその口を畳封す。
趣味の深いひとは、きれいにした磁器の瓶を持ってきて、手でその雲のかけらを引っ張って瓶の口から中に押し込む。瓶がいっぱいになったかな、というあたりで、瓶の口に紙を詰め、絹の布でそのまわりを何重にも封ずるのである。
数月後、持以贈人。
数月の後、持して以て人に贈る。
数か月後に、旅から帰って知人にその瓶を贈る。
瓶をもらった者は、穴ひとつ無い密室に入り、おもむろに
将瓶掲去紙絹放之。
瓶を将ちて掲げ、紙・絹を去りてこれを放つ。
瓶を持ちあげ、蓋にしてある紙や絹を取去って、中のものを開放する。
すると、あら不思議、
従瓶中縷縷出如篆煙状、須臾布満一室。
瓶中より縷々として篆の煙の状の如きもの出で、須臾にして一室に布満す。
瓶の口からするすると、篆字のような形に煙状のものが出てきて、あっという間に部屋いっぱいに広がるのだ。
「うひゃひゃひゃー」
と喜んでいるうちに
食頃方滅。
食頃にしてまさに滅す。
しばらく(一食食べるぐらいの時間)すると、消えてしまうのだった。
―――つまり、
是雲固可持贈也。
これ、雲ももとより持して贈るべきなり。
実は、雲も持ってきて贈り物にすることができるものなのだ。
・・・以上が李九疑の話である。
最後に彼は付け加えて言った。
不経其地、必目為妄。
その地を経ざれば、必ず目して妄と為さん。
「実際にあの土地に行ったひとでなければ、こんなこと、必ずや妄想だと思うだろうなあ」
と。
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明・江盈科「談叢」より。すごいですね。雲が贈り物になるなんて。さすがはチュウゴク文明だ。密室で覚○剤をヤるぐらいなら、雲でも吸ってラリってる方がいいのでは。