今日は所用で多忙、たいへん疲れましたぞ。しかし今日の疲れはからだの疲れである。ほんとに疲れているのは、昨日まで酷使したこころの方である。鉄のメンタルが欲しいところ。
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鉄のメンタルを学ぶわざはわかりませんが、別のものを学ぶことはできるらしい。
清の半ばごろのことです。ある年寄りの自述。
・・・わし(←肝冷斎にあらず)は若いころ、
受異人術、能煉臂為鉄。
異人の術を受け、よく臂を煉りて鉄と為す。
不思議なひとの教えを受けて、腕を変化させて鉄にする術を身に付けたのじゃ。
お。「鉄腕」になれる術ですね。「鉄腕」になれるとどういういいことがあるのでしょうか。
聴力士i如虎者、張拳撃之、余臂無恙。
力士のi(いさま)しきこと虎の如き者をして、拳を張りてこれを撃たしむるに、余の臂つつが無し。
トラのように勇ましい拳闘士に、こぶしを固めてわしの腕をぶん殴らせても、わしの腕はなんとも無いのである。
「くそ、どうしてなんともないのだ!」
と拳闘士が夢中になって
「おあたたたたたたたたた・・・・・・・・」
と
至十数撃、而彼拳痿薾、不能挙矣。
十数撃に至れば、彼の拳は痿薾(いじ)して挙ぐるあたわずなる。
十数回ぶん殴ったが、わしの方はなんともないのにやつの拳は萎えてしまい、腕があがらなくなってしまったものだ。
さて、海昌の査伊璜という人がわしのこの術を見て、
「おお、これは!」
―――すみません、明日も所用がたいへんなので、今日はここまで。明日に続く・・・といいですね・・・。
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清・汪价「三儂贅人廣自序」(清・張山来「虞初新志」巻二十所収)より。