今日は昨日よりも疲れました。
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昨日の続きです。
査伊璜が「おお!」と驚いて言いましたことには、
有豪客、鉄臂与余無二。
豪客の、鉄臂なること余と二無きひと有り。
「あなたとまったく同じように腕が鉄になっている豪傑を知っていますよ」
「へー、そうなんですか。どんなひとなんですか」
「わたしの恩人ですよ・・・」
と、伊璜は話してくれた。
客本武林窶人也。
客はもと、武林の窶人なり。
そのひとは武官に属してはいたが、身分も低く、落ちぶれていたそうである。
何十年か前になるが、伊璜が西湖の湖心亭というところで宴会を開いていたとき、そのひとは、破損した小舟に乗ってやってきて、その「鉄臂」の芸を見せてくれた。
伊璜拉与同飲、酣叫尽歓。飲畢、悉以余饌贈之。
伊璜、拉(ひ)いてともに同飲し、酣(たけ)なわにして歓を尽さんと叫(よ)べり。飲み畢(おわ)りて、ことごとく余饌を以てこれに贈る。
伊璜は「これは豪傑である」と感心して、連れ込んでともに飲み、酒たけなわなころには「飲み尽くそう」と大声で呼ばわったという。宴果てた後、余った食品と酒は、すべてその豪傑に差し上げてしまった。
人生、何がどうなるかわからないものである。伊璜は「明史」の編纂に関わる筆禍事件に関与し、死罪を云々されたのであったが、ある人がいろんなところに手をまわしてくれたおかげで無罪放免となった。伊璜がそのひとを訪ねてお礼を言上すると、なんとあの時の「鉄臂」の武人であった、というのである。
彼は従軍して福建や広州で、いわゆる三藩の乱の鎮圧に活躍し、侯爵の肩書を持つまでに出世していたのであるが、
感酒食之恵、陰為営救。
酒食の恵に感じて、陰に営救を為すなり。
「あのとき、酒と食糧をお恵みくださったことのお礼をしたいと思い、ひそかに各方面に手をまわして、お救いしようとしたのです」
ということであったのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・
「へー、そういうことがあったのですか」
わしは大いに驚いた。
それにしても、
同一臂術耳、客以窶而侯、余特用之以戯、猶是孱書生也。可哂也。
同じく一臂術のみなるに、客は窶を以て侯たるも、余は特にこれを用うるに戯を以てして、なおこれ孱書生なり。哂うべし。
同じ鉄腕の術を身につけていながら、その豪傑は貧困から侯爵まで出世したというのに、わしの方はこの術をお遊びにしか使わずに、今もまだ弱弱しい読書人のままである。お笑いくだされ。
わっはっは。
わっはっは。
わっはっは。
ところで(以下は以上の話とはまったく関係がないようである)、庚子年(康熙五十九年(1720))に白髪頭のひとを批判する文章を作ったことがありましてな。
その時、白髪頭のやつの方から反駁の文をもらった。
曰く、
鹿、仙畜也。千年而蒼、又千年而白。亀、四霊之一也。五百年而紫、又五百年而白。然則白也者、物老而聖、斯足以当之。
鹿は仙畜なり。千年にして蒼く、また千年にして白し。亀、四霊の一なり。五百年にして紫、また五百年にして白し。然ればすなわち白なるものは物の老いて聖なる、すなわち以てこれに当たるに足るなり。
「鹿は仙人の飼うドウブツですが、千年生きると青黒くなり、さらに千年生きると今度は白くなる、と聞きます。亀は(龍・鳳凰・麒麟とならぶ)四つの神秘のイキモノの一つですが、五百年生きると紫になり、さらに五百年生きるとやはり白くなると申します。されば、白いモノというのは、物体が年を経て聖性を得たときに、獲得する性状なのではござるまいか。
白髪はかっこいいのですぞ」
と。
なるほど。
それ以来わしは早く年をとって白髪になりたいと思うようになったものである。
吾願天下学道人、共聞斯語。
吾、願わくば、天下の道を学ぶの人の、ともにこの語を聞かんことを。
わしは、できれば世界中の学問をする人間が、みんなこの「白髪はかっこいい」という言葉を理解し、老境の来るのを楽しみにしてくれるといいと思う。
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清・汪价「三儂贅人廣自序」(「「三儂贅人」と名乗るこの汪价の自叙伝」)より。
この「三儂贅人廣自序」(以下「自序」と略す)はかなりおもしろい。今は衰えたが若いころは女色が大好きで、という自慢話やら、そこらで聞いてきた噂話やら、友人や知り合いの失敗談やら、次から次へと話が広がっていき、取り止めも無い。
張山来が編集した「虞初新志」の巻二十に載せられているわけですが、編者の張山来がいうとおり、
文近万言、読之不厭其長、惟恐其尽、允称妙構。
文、万言に近きもこれを読みてその長きを厭わず、ただその尽きんことを恐る、まことに妙構と称すべし。
文章は一万字近い(漢字で一万字というのはかなりの情報量である)が、読んでいても少しも厭きない。逆に、そろそろ終わってしまうのではないかと心配になってしまう。まことにみごとな構成というべきであろう。
構成もなにも、単にずるずると話が続いていくだけ、という感じもします。
山来はこのひとの息子と知り合いだったそうである。
予素不識三儂、而令嗣柱東曾通縞紵。因索種々奇書、尚未恵読、不知何日方慰予懐也。
予、もと三儂を識らず、しかして令嗣・柱東かつて縞紵を通ず。よりて種々の奇書を索(もと)むるも、なおいまだ恵読せず、知らずいずれに日にかまさに予の懐(おも)いを慰むるや。
わたしはもともとこの三儂贅人というひとを知らなかった。ところが、その跡継ぎの汪柱東と手紙のやり取りをするようにな(ってこの「自序」を教えてもら)ったのである。汪柱東には、「三儂贅人が書いたというさまざまな変な書物をもっと読みたい」と依頼したのであるが、なかなかすべては読ませてもらえない。いつの日にわしの願いはかなうことであろうか。
わしも読みたいが、山来もとうとう読ませてもらえなかったみたいなので、今はもうこの世には「自序」のほかには残っていない(と思われる)。