昨日は牛や豚や犬や馬やその他が人間の言葉で話しておりましたが・・・。
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新城の王家は名家である。その先祖を尋ねれば、清の初めに活躍した王阮亭先生にさかのぼり、先生の生前に建てた屋敷が今も残っているのである。
さて、そのお屋敷に老いたネコがいた。
このネコが人間の言葉を話す、というウワサが立った。
一日猫眠榻上。有問其能言否。
一日、猫榻上に眠る。その能く言うや否やを問う有り。
ある日、くだんのネコが長椅子の上に寝そべっていたとき、家人が「おまえはほんとうに人間の言葉で話すことができるのかね」と問いかけたそうだ。
すると、
猫対云、我能言、何関汝事。
猫、対して云う、「我よく言うも、何ぞ汝の事に関せん」。
ネコはめんどうくさそうに相手を睨んで、曰く
「わしが人間の言葉で話せようが話せまいが、それがおまえさんと何の関係があるのだね」
家人が驚いているうちに、ネコはのっそりと立ち上がってそのままどこかに行ってしまい、二度と戻らなかったという。
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江西の某という役人の家で
両猫対談。
両猫対談す。
二匹のネコが話し合っていた。
「なんと!」
某、たまたまそれを見て、この二匹を捕まえようとした。
一猫躍上屋去、独擒其一。
一猫は躍りて屋に上りて去り、独りその一を擒らう。
一匹は屋根に飛び上がって逃げ去ったが、もう一匹を捕まえた。
某、捕まえたネコの首筋を持ち上げて、
「おまえ、今言葉をしゃべっていたよな?」
と訊ねてみると、ネコは上目使いで
我活十二年、恐人驚怪、不敢言。公能恕我、即大徳也。
我活くること十二年、人の驚き怪しむを恐れあえて言わず。公よく我を恕すれば、即ち大徳なり。
「わしは十二年に生きてきたが、おまえさんたちが驚き怪しむであろうと思うて、これまでしゃべらないできましたのじゃ。おまえさん、ここで放してくだすったら、たいへん恩義に感じますのじゃがのう」
某、もともと闊達な人であったから、
「恩義に感じてもらえるのなら、放してやろう。おまえにその力があれば何か報いてくれるといいな」
放してやると、ネコはまるでネコのように「にゃーご」と鳴き、ぺこりと頭を下げて、そのままどこかに行ってしまったという。
その後別段いいことも悪いこともなかった。が、悪いことが無かった、というのはいいことだったのかも知れない。
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清・銭泳「履園叢話」巻十四より。
うちに寝泊まりしているネコも話しますよ。
今もそいつに向かって、
「へー。ネコってみんな話すもんだと思っていたが、話すネコって珍しいんだ」
と声をかけてみましたところ、彼はかぶりを振りまして、
「いやいや、みんにゃ話すのだにゃー。ばれないようにやっているだけ」
と言っております。みなさんのとこのネコはどうかな。人間の言葉を話さないように見えても、ばれないようにやっているだけだと思いますよ。
(今日はU氏、N氏とお好み焼き。食い過ぎた。)