ぽんぽんぽんすこ、ぽんすこ、ぽんぽん・・・
何だかうるさいなあ。
さて、今日のお話はものすごく有名なお話(だと思いますので、知らない人はいないでしょうが・・・)。
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(六朝の)宋の元嘉十九年(442)、長山の留元寂という人、一匹の貍を捕まえた。「貍」はネコを指すこともありますがここでは野生のもののようですから、タヌキでよろしいでしょう。
このタヌキの内臓を取り出し毛皮を得ようとして、
剖腹。
腹を剖く。
腹を切り開いた。(←内臓の方はタヌキ汁にするんだと思います。)
すると、
復得一貍。
また一貍を得たり。
中からまたタヌキが出てきた。
又破之、更獲一貍。
またこれを破るに、さらに一貍を獲る。
またこれの腹を切り開いたところ、またまたタヌキが出てきた。
これを切り開いたら、さすがに
方見五臓。
まさに五臓を見たり。
ようやく内臓がにょろにょろと出てきたのであった。
さらに不思議なことに、この三匹のタヌキはAの中にBがありBの中にCが入っていたのに、
大小不殊。
大小殊ならず。
AもBもCも同じ大きさであったのである。
しかし留元寂は別に不思議とも何とも思わず、
「一匹を捕まえて三匹分の毛皮を得ることができた。よろこばしいことではないかね」
と喜び、
以皮掛于屋後。
皮を以て屋後に掛く。
裏庭に皮を三枚、乾しておいた。
すると、
其夜有群貍繞之号呼。
その夜、群貍、これを繞りて号(さけ)び呼ばえり。
その晩、無数のタヌキがどこからか現れ、元寂の家の周りを取り囲んで、一晩中喚き叫んでいた。
朝になってみるとタヌキどもはどこにもいなくなっていたが、
失皮所在。
皮の所在を失えり。
裏庭の毛皮もどこかに消えてしまっていた。
「なんだ、一匹捕まえたのが三匹分になったが、結局〇匹になってしまったのか。残念なことだ」
と元寂は残念がったということである。
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南朝宋・劉敬叔「異苑」巻八より。
そこはかとなくいいお話だなあ。捕ったタヌキの皮算用がうまくいかなかったのですから、残念だったことでしょう。わしは今から三十年ぐらいまえに初めてこの話を読んで、そのときでさえ「どこかで聞いたような気がする」と思ったのですから、有名なお話に違いないのです。
今宵は金曜日、週末に浮かれ出たのか、わしの家の前の公園でも、ぽんぽこぽんぽこタヌキどもがうるさく騒いでおりますよ。なんという愚かなことでしょうか、わずか数日後には、また月曜日が来るというのに・・・。