今年の立冬は7日だったそうですね。
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ということは4日の月曜日にやっておかなければいけなかったのですが、
先立冬三日、太史謁之天子、曰某日立冬、盛徳在水。
立冬に先立つこと三日、太史これ天子に謁し、曰く、「某日立冬、盛徳は水に在り」と。
立冬の三日前になると、暦と記録を掌る太史が天子に拝謁し、申し上げる。
「○○日に立冬になります。その日以降、「水」の精がもっとも力を持つ季節にござります」
と。
ちなみに春は木の精、夏は火の精、秋は金の精が力を持ちます。
このことを聞くと、
天子斎。
天子、斎す。
天子はものいみを開始する。
そして、立冬の当日には、
天子親帥三公、九卿、大夫、以迎冬于北郊。
天子親しく三公・九卿・大夫を帥(ひき)い、以て北郊に冬を迎う。
天子はみずから重臣である三人の家老、九人の大貴族、そのほかの大臣たちを引き連れて、王都の北の郊外で冬を出迎える儀式を執り行う。
そこから
還反、賞死事、恤孤寡。
還反して、事に死するを賞し、孤寡を恤(あわれ)む。
王宮に帰ってくると、まず公務のために死んだ者を褒賞し、その遺族(孤は遺児、寡は妻)を慰労して衣食を給付する。
・・・このほか、今月から冬ですから、いろんな冬に必要とされるをしなければいけないのですが、省略。
とにかく今月、本来冬以外にすべきことをすると、
行春令、則凍閉不密、地気上泄、民多流亡。
春の令を行わば、すなわち凍り閉じること密ならず、地気上に泄(も)れ、民多く流亡す。
春にすべきことをしてしまうと、地面の凍り方が足らなくなって、本来春に出てくるはずの大地の「気」が地下から洩れ出てきてしまい、人民は落ち着きを失って流浪・亡命するものが多くなるであろう。
行夏令、則国多暴風、方冬不寒、蟄虫復出。
夏の令を行わば、すなわち国に暴風多く、まさに冬寒からず、蟄虫また出づ。
夏にすべきことをしてしまうと、国中に激しく疾風が吹き、冬らしい寒さが無く、冬籠りした虫やヘビの類がまた出てきてしまうであろう。
行秋令、則雪霜不時、小兵時起、土地侵削。
秋の令を行わば、すなわち雪霜時ならず、小兵時に起こり、土地侵削さる。
秋にすべきことをしてしまうと、雪や霜が予測された時期に降らなくなり、小規模な戦乱が起こって、領土が侵略され奪われるであろう。
なので、よけいなことをしてはいけません。
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「礼記」月令篇・孟冬章より。ということなので、わしは季節の調和を乱すような余計なことはしません。特に余計なシゴトはせずに、亀のようにじっとしています・・・。「亀」のような甲羅のあるドウブツ(「介」)は冬を象徴するドウブツ、とされておりますからね。
ちなみに春を象徴するのが「鱗」類(魚や穿山甲など)、夏が「羽」類(鳥や飛ぶ虫)、秋が「毛」類(毛の生える獣類)である。