五月だが寒い。さすが本土。早く寝よう。
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孽揺(げつよう)という山に鳥がおりました。ただの鳥ではない。
一身而九頭。
一身にして九頭。
からだ一つに九の頭がついている。
「九頭鳥」だったのであります。
得食、則八頭皆争、呀然而相御、灑血飛毛、食不得入咽、而九頭皆傷。
食を得るに、八頭みな争い、呀然として相御し、血を灑(そそ)ぎ毛を飛ばし、食は咽に入るを得ず、而して九頭みな傷つけり。
ある一頭が食い物を入手しました。するとほかの八頭がその一頭と争い合い、ぎゃあぎゃあとうるさくお互いに制御しあい、血は流れ羽毛は飛び散った。
どの頭も食い物を呑みこむことができぬうちに、九つの頭はすべてケガをしているというありさまである。
「わはは、あほでちゅねー」
海鳧観笑之。
海鳧観てこれを笑う。
カモメはその九頭鳥を見て、大笑い。
而胡不思九口之食同帰于一腹乎。
なんじ、なんぞ九口の食の同じく一腹に帰するを思わざるか。
「おまえさん、九つ口があるけど食ったら同じ一つの腹に収まるんだよ。どうしてそのことがわからないのか」
と。
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これは寓言(たとえ話)です。いつの時代のことだろうか、とか、孽揺の山とはどこにあるのか、などと詮索してはいけません。
―――何のこっちゃ。何か意味あるの?
と思うかも知れませんが、何しろ明の洪武帝に「朕の張子房(←漢・高祖の名参謀、漢の創業の三功臣の一人とされる)」と称して信頼された大戦略家・劉基(参照→「建文開筺」)の「郁離子」(省適篇)からの引用です。そう思って十回ぐらい読みかえすと、すごく意味があるような気がしてきますよー。現代の政治とか経済とかスポーツ界とか・・・。
お。今日は憲法記念日だ。