今日もありがたい教訓話じゃ。
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河南・蒙といえばもともと殷の国の領域だった。殷は周に滅ぼされたのでケイベツされており、周代から戦国にかけて、河南のひとびとは頑冥・愚陋の代名詞のように扱われておりましたそうです。
その蒙の人が、あるとき獅子の毛皮を着て郊外に行った。
そこで、トラと出会った。
「うひゃあ」
ところが、
虎見之、而走。
虎はこれを見て走る。
トラは(獅子の皮を着た)その人をじっと見つめ、それから逃げ去ってしまった。
「なんと! わしを見てトラが逃げ出すとは」
その人、
虎為畏己也、返而矜、有大志。
虎の己れを畏ると為し、返りて矜(ほこ)り、大志有り。
トラが自分を懼れて逃げ出したのだと思い、町に帰ってそのことをひとびとに吹聴し、大いに自信を抱いた。
自信を抱いて仕事をしたところいろんなことがうまく行き、ひとびとから尊敬されるに至ったのであった。
よかったです。
・・・・さて、またある日、このひと、
服狐裘而往、復与虎遇。
狐裘を服して往くに、また虎と遇う。
キツネの毛皮を着て出かけたところ、またトラと出会った。
虎立睨之。
虎、立ちてこれを睨む。
トラはこちらをじっと睨んでいる。
「わしほどの人間に対してその態度、怪しからん」
そのひと、
怒其不走也、叱之。
その走らざるを怒り、これを叱す。
トラが逃げ出さないのに頭に来て、トラを叱りつけた。
それでもトラが逃げないので、
「まだわからないのか」
と近づいて殴りつけようとした。
そしてついに
為虎所食。
虎の食らうところと為る。
トラに食い殺されてしまったのであった。
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明・劉基「郁離子」(瞽聵篇)より。その人が外面上の地位や財産だけで尊敬されたり、恐れられたりしているのなら、その外面が変れば誰も尊敬したり恐れたりしなくなるよー、ということぐらいみんな知っているから、こんなお話聞かなくてもよかったよね。
ところで、I波書店の本には近年、ひどい違和感を感じるので讀まないようにしているのですが、我が敬愛するフィールドワーカー鳥居龍蔵先生のことであるので「我慢して読んでみよう」と思って中薗英助「鳥居龍蔵伝」(岩波現代文庫2005)をがんばって読了しましたが、中薗先生(鳥居先生ではない)のあらゆる時代において日本が悪、というあくことなき嫌日感情にほとほとイヤになった。と思ったが、1995年ごろに雑誌「世界」に連載されたもの、という「後記」の記述を読んでなんだか納得。