会社にはもう行きませんので、これからどうやってお金を稼ぐかいろいろ考えております。
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清の時代のことでございます。
書画を買わんとする際には識者にその真贋を鑑定してもらわねばなりませんが、このころ、文徴仲先生の鑑定が一番人気があったのでございます。なにしろ
雖贋物必称真蹟。
贋物といえども必ず真蹟と称す。
ニセモノであっても必ず「ホンモノです」と鑑定する。
からでございます。
売る方が持ち込んだときも買おうとする方が持ち込んだときも、
「やはりそうですか」
と幸せそうに帰っていくのでありました。
ある人、先生に
「ニセモノであってもホンモノだというのは如何なものでございましょうか」
と諫めたところ、先生、ちらりとその人を見て言う、
凡買書画者、多有余之家。此人貧而売物、必待此挙火。我一言沮之、則其家受困矣。
およそ書画を買う者は多く有余の家なり。この人は貧にして物を売る、必ずこれを待ちて挙火せんとす。我が一言にしてこれを沮(はば)めば、すなわちその家、困を受くるなり。
だいたい書画を買おうというのは資産のあり余っている家の人である(。こちらの心配はする必要がない)。一方、売る方の人は貧乏だから売るのであり、これを売ったお金でなんとか飯を炊く竈の火をつけようというのだ。わしが「これはニセモノでーちゅ」という一言でその思いを阻んでしまえば、その家はその日から食べることもできなくなるではないかね。
と。
いにしえの賢者の風というべきであろう。
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清・金埴「不下帯編」巻二より。
お金のある者からお金の無い者にお金が流れる。経済のあるべき姿でございます。