うひゃあ、来年度はまた月曜日かー!
しかし―――
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羅某という人が言うた。
曩予館于貴室。
曩(さき)に予は貴室に館せり。
以前、わたしはとある貴族の家に家庭教師として雇われておりましたのじゃ。
「館」は富貴の家の私塾に教諭として勤めること。科挙にも受からず高い文名も無いごく普通の知識人の世過ぎの方法として一般的であった。
一日、主人命市薪六百貫。
一日、主人の命じて、薪六百貫を市(か)わしむことあり。
ある日、その家の御主人が、薪木を600貫買っておけ、と命じたのであった。
薪木を数百キログラム分買っておけ、というのだから、大きな家であっても何十日分にも当たる量だ。
ところで、ある下働きの男が、それを聞いて、にやにや笑いながら言うに、
官人今日不知明日事、乃買柴六百貫耶。
官人は今日、明日の事を知らず、すなわち柴を買うこと六百貫か。
「だんなさまは、今日は豪勢なものだが、明日にはどうなっているかわかりゃせぬ。それなのに薪木を六百貫、何十日分もお買いになるってさ」
そして、ぐひぐひ、と下卑た笑い声を立てた。
おろかなものだ。だが、
予竊嘆、士大夫之見、有不如此卒者、多矣。
予ひそかに嘆ず、士大夫の見、この卒にしかざるあるもの多いかな、と。
わしはそのとき、ためいきをついて思ったものじゃ。
「知識と権力・権威を保有する士大夫階級の者たちは明日も自分はそれらを保有していると思い込んでいる者が多いが、この世のことははかないもの。この下僕の人生観の方がずっとすぐれているのではないだろうか」
と。
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清・金埴「不下帯編」巻五より。
ということですから、明日のうちに世界滅ぶかも知れんので月曜日のために薪木を買っておく必要はないわけだ。滅ばなかったらどうしよう・・・とは心配なものの、とりあえず今日のところは滅ぶことを確信して、眠ることとする。(ちなみにこの日は遠い遠いステキな珊瑚の島にいたんですが、WiFi通じないので更新できず)