平成24年12月23日(日)  目次へ  前回に戻る

 

天皇陛下は今日七十九歳になられた。弥栄。

・・・そのめでたい日に、またこんなくだらないお話で申し訳ございません。と先に謝っておきます。

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明の永楽年間(1403〜24)のことでございます。

寧波(にんぽう)府の祭酒(学校長)であった陳敬宗はきわめてよく酒を飲む、とついに北京の朝廷にまで知れ渡った。

一日召宴。

一日、宴に召さる。

ある日、陳は皇帝の御主催なさる宴席に招かれたのである。

帝は内侍官(宦官である)に命じてある物を用意していた。すなわち、

鋳銅人如公軀幹、雖指爪中皆空虚者。

銅人の公の軀幹の如く、指爪中といえどもみな空虚なる者を鋳せしむ。

銅製の人を鋳造しておいたのである。この銅人は、陳敬宗と同じ体格にしてあり、中は指先まで空洞に造られていた。

とりあえずこの銅人を「青銅の魔人」と呼んでおきます。

帝は招いた陳敬宗に酒を飲ませ、宦官に命じて

如其飲注銅人中。

その飲の如く銅人中に注がしむ。

陳が飲んだ分と同じ量の液体を青銅の魔人の中に注ぎこませたのである。

陳敬宗と魔人に対決させたわけだ。

一刻もすると、担当の宦官から報告があった。

「お畏れおおくもお耳を汚したてまつりまする―――

銅人已満。

銅人すでに満てり。

魔人の内部、すでに満タンになりましてござりまする」

「―――!」

陳はなお平然として杯を呷っている。

「わかった。やつの勝ちじゃ」

というわけで、帝は陳に酒を飲むのを止めさせ、家に帰らせたのである。

・・・・・・・オロカなことでございますなあ。

しかし、これには実は先例があったのである。

北宋の欧陽脩が記しているところによると、張斉賢は大食を以て名高く、

嘗与賓客会食、厨吏置一金漆大桶於庁側。

嘗て、賓客と会食するに、厨吏一金漆の大桶を庁側に置く。

かつてお客と会食した際、料理長は巨大な桶(金粉入りの漆で表面を塗ってあったという)を宴会場の壁の外に置いておいた。

とりあえずこの箱を「箱男」と呼んでおきます。

料理長はひそかに

公所食如其物投中。

公の食らうところ、その物の如き中に投ず。

御主人の食ったものと同じものを「箱男」の中に放り込んでいったのであった。

至暮酒漿物積漲溢満桶、公尚未已也。

暮に至り酒漿・物、積みて漲り、桶に溢れ満つるも、公なおいまだやまず。

昼間から夕方になるころには、酒類・スープ・食べ物が積み溢れて、「箱男」はいっぱいになり、入れられた飲食物を口から吐き出しはじめたが、それでも張公はまだ飲み食いし続けていた。

ということである。「箱男」の敗北であった。

酒にも食にも別腸というもの(参考→「酒有別腸」)があるのだね。

わたくし(←肝冷斎にならず、明の朗瑛さんなり)は思う。

此固富貴者必異於人、如此飲食亦間世而一見者也。

これもとより、富貴者は必ず人に異なるありて、かくの如く飲食もまた世に間して一見する者なり。

本質的に富める方・身分高き方はやはり普通のニンゲンとは違うところがあるのであろう。このように、飲み食いにおいても、世間さまとは差があって目立つものなのだ。

と。

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明・朗瑛「七修類稿」巻四十五より。

格差大国・チュウゴクらしい結論になりました。沖縄ではかなり下級のやつ(「仲間文格」)が飲み食いしてましたが。

 

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