平成24年12月24日(月)  目次へ  前回に戻る

 

一応クリスマスイブとかいう何やらなので、「新約聖書」を開いてみまちたよー。

兄弟よ、曩(さき)にわが伝へし福音を更に復(また)なんぢらに示す。汝らは之(これ)を受け、之(これ)に頼(よ)りて立ちたり。 (コリント前書・15)

なるほど、イエス教団の福音さえ、繰り返し伝えられたものなんでちゅね。「これがはじめて」のことなんて世の中にあんまり無いものなのであろう。

・・・・・・・・・・・・・

さて、漢の文帝(在位前180〜前157)のときのことでございます。ある日、

日中有王字。

日の中に「王」字有り。

太陽の中に「王」という字が浮き出して見られた。

どういう現象なのか? 黒点か何かの影響なのでしょうか。

ひとびと、日を仰いで一体何のしるしであるのかといぶかしんだが、このような現象も決して初めてのことではなかったのであり、古い占い書にこのことが載っていた。

君応陽、君臣和徳過度、則日含王字。

君は陽に応ず、君臣の和徳度を過ぐれば、すなわち日、「王」字を含む。

君主というものは陽の気に対応するものであるから、君主と臣下の関係が和やかすぎるとき、太陽の中に「王」の字が浮き出すことがある。

のだそうである。

漢の文帝の時にはまた、

日再中。

日、再び中す。

太陽が一日に二回、南中した。

という事件も起こっている。これは文帝の即位十七年(前163)のことであったが、この現象についても過去の占い書に載っていた。

日再中、烏連嬉、仁聖出握知時。

日再び中するは、烏の連嬉し、仁聖出でて時を握知するなり。

太陽が一日に二回南中するのは、カラス(太陽の精霊である)が連続して喜んでいるのである。その時代には心優しき聖人が現れて、世界を支配するであろう。

これは難しい問題を孕んでいる。仁聖(心優しい聖人)が現れて世界を支配する、というのなら、今現在世界を支配している文帝はどうなるのであろうか。

そこで、文帝は

「わしは生まれ変わったのだ」

と宣言した。

「わしは心優しき聖人として生まれ変わったのだ。世界を支配するだろう、と言われたその人こそわし自身であったのだ」

というのである。

于是更為元年。

ここにおいて、更(あらた)めて元年と為せり。

この年を文帝は二度目の即位元年と定めたのであった。

漢の歴史書に「後元年」という年号が出てくるのはこのためである。

ちなみに宋書・五行志」には以上のことを整理して

有聖人起則日再中、君臣有道則日含王字。

聖人起こるあればすなわち日は再び中し、君臣道あればすなわち日は「王」字を含む。

聖人が出現なさると太陽が一日に二度南中する。君主と臣下の関係が良好であれば太陽の中に「王」の字が浮き出てくる。

と記されているので、これがそれ以降のスタンダードである。

・・・・・・・・・・・・・・・・

ただし、それ以降はこのような事件は起こっていないようである。しかし何か起こっても過去に経験があるのですから安心ですね。明・徐応秋「玉芝堂談薈」巻十八より。

世の中、たいていのことは以前に起こっていることの繰り返すなんですと。いにしえの賢者ありすとてれす言へらく、「天が下に新しきこと一つとて無し」と(※)。まことなるかなその言や。(日本の政治のことを言ってる? そんなことはわたしは知りませんよ。)

※と言ったんだと言われています。むかしありすとてれすの著作を読んでみたけど、どこに書いてあるのかわからなかった。

 

表紙へ  次へ