一応クリスマスイブとかいう何やらなので、「新約聖書」を開いてみまちたよー。
兄弟よ、曩(さき)にわが伝へし福音を更に復(また)なんぢらに示す。汝らは之(これ)を受け、之(これ)に頼(よ)りて立ちたり。 (コリント前書・15)
なるほど、イエス教団の福音さえ、繰り返し伝えられたものなんでちゅね。「これがはじめて」のことなんて世の中にあんまり無いものなのであろう。
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さて、漢の文帝(在位前180〜前157)のときのことでございます。ある日、
日中有王字。
日の中に「王」字有り。
太陽の中に「王」という字が浮き出して見られた。
どういう現象なのか? 黒点か何かの影響なのでしょうか。
ひとびと、日を仰いで一体何のしるしであるのかといぶかしんだが、このような現象も決して初めてのことではなかったのであり、古い占い書にこのことが載っていた。
君応陽、君臣和徳過度、則日含王字。
君は陽に応ず、君臣の和徳度を過ぐれば、すなわち日、「王」字を含む。
君主というものは陽の気に対応するものであるから、君主と臣下の関係が和やかすぎるとき、太陽の中に「王」の字が浮き出すことがある。
のだそうである。
漢の文帝の時にはまた、
日再中。
日、再び中す。
太陽が一日に二回、南中した。
という事件も起こっている。これは文帝の即位十七年(前163)のことであったが、この現象についても過去の占い書に載っていた。
日再中、烏連嬉、仁聖出握知時。
日再び中するは、烏の連嬉し、仁聖出でて時を握知するなり。
太陽が一日に二回南中するのは、カラス(太陽の精霊である)が連続して喜んでいるのである。その時代には心優しき聖人が現れて、世界を支配するであろう。
これは難しい問題を孕んでいる。仁聖(心優しい聖人)が現れて世界を支配する、というのなら、今現在世界を支配している文帝はどうなるのであろうか。
そこで、文帝は
「わしは生まれ変わったのだ」
と宣言した。
「わしは心優しき聖人として生まれ変わったのだ。世界を支配するだろう、と言われたその人こそわし自身であったのだ」
というのである。
于是更為元年。
ここにおいて、更(あらた)めて元年と為せり。
この年を文帝は二度目の即位元年と定めたのであった。
漢の歴史書に「後元年」という年号が出てくるのはこのためである。
ちなみに「宋書・五行志」には以上のことを整理して
有聖人起則日再中、君臣有道則日含王字。
聖人起こるあればすなわち日は再び中し、君臣道あればすなわち日は「王」字を含む。
聖人が出現なさると太陽が一日に二度南中する。君主と臣下の関係が良好であれば太陽の中に「王」の字が浮き出てくる。
と記されているので、これがそれ以降のスタンダードである。
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ただし、それ以降はこのような事件は起こっていないようである。しかし何か起こっても過去に経験があるのですから安心ですね。明・徐応秋「玉芝堂談薈」巻十八より。
世の中、たいていのことは以前に起こっていることの繰り返すなんですと。いにしえの賢者ありすとてれす言へらく、「天が下に新しきこと一つとて無し」と(※)。まことなるかなその言や。(日本の政治のことを言ってる? そんなことはわたしは知りませんよ。)
※と言ったんだと言われています。むかしありすとてれすの著作を読んでみたけど、どこに書いてあるのかわからなかった。