どこに行ってもこういう人がいますね。↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
むかしむかしのことでございます。
琉球国浦添郡仲間邑に文格なる者がおりましたのじゃ。この男、
身体高昂膂力無倫。常吃八人之食。
身体高昂にして膂力倫無し。常に八人の食を吃う。
からだはでかく、力はくらべる者が無いほど強かったが、いつも八人前のメシを食うのだった。
彼は食うだけでなく働き者で、朝から晩まで田畑で耕耘しているのであったが、
至于晩天将其鉄钁打入草頭而帰家。
晩天に至るにその鉄钁を将って草頭に打入して家に帰る。
夕暮になると、愛用の鉄のクワを田畑のかたわらの草むらに放り出して、家に帰るのだった。
クワを家に持って帰るということはなかったのだ。
人皆看之要以盗取不能搖動而取。
ひと、みなこれを看て以て盗取せんことを要むるも、搖動して取ることあたわず。
このクワを盗み取ろうとする者があったが、(普通のひとの力では)持ち上げようとしても揺れ動きもせず、盗み取ることはできなかったのであった。
その後、首里王府に召し出だされて、城門の番をつかさどる
家来赤頭(げらいあかがみ)
という下級の役人となった。
彼が王府に宿直するときには、
必一次吃五升之飯、而進至王城以為看守。而四昼夜間未曾吃一点之飯也。
必ず一次に五升の飯を吃い、進んで王城に至りて以て看守を為す。而して、四昼夜の間、いまだかつて一点の飯も吃わず。
(浦添の家で、出かける前に)必ずいっぺんに五升のメシを食う。それから首里の王城に行って門番をするのだが、その際、四日四晩の間、何一つ食わないのである。
食いだめするのです。しかし、五升を四日で割ると一日1.25升。三食で割れば一食あたり4合ちょっと。八人前食う、というわりには平均してみるとあまり食いません。
ともあれ、王様がこのことをお聞きになって、
招入御庭盛酒大碗(俗叫大碗保宇)而賜飲之。
御庭に招き入れて酒を大碗(俗に「大碗保宇」と叫(よ)ぶ)に盛りてこれに賜いて飲ましむ。
内庭に御招き入れになり、数升も入る巨大なお椀(これのことを一般には「おおわんぶう」と呼ぶ)にお酒をなみなみと注いで、飲ませてくださった。
文格奏請先賜猪油而後飲酒。王賜油一大碗、文格飲油而一口飲尽其酒以備聖覧。
文格、奏して「先に猪油を賜り、しかる後に飲酒せん」ことを請う。王、油一大碗を賜うに、文格、油を飲みて、一口にその酒を飲み尽くして、以て聖覧に備えたり。
文格は申し上げてお願いした。
「王様、さきにブタのあぶら(ラード)をいただきたく存じます。その後で、酒をいただきとう存じます」
王様は、どうするかのといぶかりながら、これもまた巨大な碗にいっぱいのラードを持ってこさせた。文格は、碗をおしいただき、まずこのラードを飲み干した。それから、続けざまに酒を一気に飲み干してしまって、王様のご覧に入れたのであった。
「さればこれにて」
と退出して帰宅する文格を、王様は人をして尾行せしめた。
文格は足もとの乱れることもなく家に帰ると、女房を呼んで言うには、
聖上賜酒、而未嘗飲飽也。若家有酒乞取。
聖上酒を賜うも、いまだかつて飲み飽かざるなり。もし家に酒有らば乞い取らん。
「おい、かかあ、今日は王さまからお酒をいただいたぞ。しかし、王さまの前でお代わりを要求するわけにもいかんから、まったく飲み足りん。そこで、家にいつもの酒があれば持ってきてほしいのだ」
女房は無表情に
取出甘酒与他。
甘酒を取り出だして他(かれ)に与う。
美酒を取り出して来て、文格に与えた。
「ふん、だんながおしごとから帰ってきたってえのに、相変わらず無愛想な女だぜ・・・」
と文句を言ったか言わなかったか。文格は自ら酒を注ぎ、
飲之以労其労。
これを飲んで以てその労を労(ねぎら)えり。
それを飲み干して、おのれの(四日間の)疲れを癒したのであった。
「ふう。やはりこれよ、これ」
文格亦飲甘酒二世直皿(毎皿酒一升)。
文格、また甘酒を飲むに、世直皿(よなおしざら。皿ごとに酒一升なり)に二なり。
文格は、さらに続けざまに美酒を、「ゆのうし」と呼ばれる大皿で二杯、飲み干した。(この皿は、酒が一升入る大きさである。)
以上、後を尾けた者が、王様に報告したことで、王府にそのとおり記録が遺されていることである。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「遺老説伝」巻二より。
はじめはよく食うひとだと思ったが、食いだめ型で総量は大したことないと判明しました・・・が、飲酒の方がすごいひとでした。すでに沖縄では蒸留酒を作っていたので、「甘酒」は「アワモリ」と解されることから、数升を一度に呑んで、家に帰ってすぐ三升、というのは大した酒量であろう。なお、琉球王府には王さまにいろいろ御報告する秘密警察的な人がずいぶんいたみたいに思われます。明帝国の影響なのかな?サツマのせいなのかな?あるいは文化的伝統なのかな?