ミサイル的飛翔体、来まちたねー。さて、水曜日終わった。あと・・・
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六朝・東晋の武将、といいますか、国家の屋台骨ともいうべきであった大政治家・陶侃のことはみんな知ってまちゅよねー。
陶侃は幼きより貧しく、母に訓えられ励まされながら偉くなったひとでありますが、大臣となってからも、
毎飲酒有定限、常歓有余而限已竭。
飲酒するごとに定限あり、常に歓に余り有るも限すでに竭く。
お酒を飲むときにはそれを越えない定量を決めていて、いつもまだ酔いきらないうちにその定量まで来てしまい、さかずきを止めるのであった。
側近らが「少しぐらい過ごしてもよろしうございましょう」と申し上げたが、
侃悽懐良久。曰年少曾有酒失、亡親見約。故不敢踰。
侃、悽懐やや久し。曰く、「年少かつて酒失ありて、亡親と約せらる。ゆえにあえて踰えざるなり」と。
陶侃はしばらくの間、悲しげな遠い目をしていて、やがて言うた。
「若いころ、酒を飲んで失敗し、ひとと疎遠になったことがあったのじゃ。そのとき、死んだおふくろに(一定量以上飲まない、と)約束させられた。だから、それを越えることは、できない」
と。(「晋書」巻66「陶侃伝」より)
まさに「おやの言いしことや肝に染み」でございますね。
このお話は、「陶侃酒限」といいまして「蒙求」の標題にもなっておりますから、御存じの方が多いのでございましょうから、ご紹介するのもいまさらのエピソードであります。
ところが、最近(←2012年にあらず、18世紀前半、乾隆のはじめごろの「最近」である)、浙江のひとに萬事というひとがいた。姓が萬、名が事。このひと、
嗜酒無度。
酒を嗜むこと度無し。
お酒が大好きで飲み始めるときりがない。
いわゆる「底無し」の酒飲みであった。
父戒之曰、限汝三杯、逾則逆命。
父これを戒めて曰く、「汝に三杯を限る、逾(こ)ゆればすなわち命に逆らうなり」と。
おやじどのがたまりかねて、彼に「おまえはこれから三杯以上の酒を飲んではならぬ。それを越えたら、父の命令に背いたことになるのだぞ」と強く言い渡した。
萬事は
唯唯。(い・い)
「あい、あい。わかりました」
と肯った。
肯ったあと、すぐに町の椀物屋に頼んで、
製一巨觥、約可容二升。
一巨觥のほぼ二升を容れるべきを製す。
二升の容積を持つ巨大なさかずきを作ってもらった。
そして、
鐫二語於上、云父命節酒、止飲三杯。
二語を上に鐫(ほ)りて云う、「父節酒を命じ、飲むこと三杯に止どむ」と。
二行のことばをさかずきに彫り込んでもらった。曰く、
「父上が酒を控えろとおっしゃるので、三杯までしか飲みません」
そして、どんなところの宴会にも、このさかずきを持参して、ほんとうに三杯だけ飲むようにしたのであった。
ひとびと彼を仇名して、
三杯和萬事
「三杯にして万事を和す」(三杯飲めばみんな仲良し)の萬事さん
と呼んだということである。
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清・金埴「不下帯編」巻一より。
みんな仲良しになるといいでちゅねー。ミサイル的飛翔体も尖閣侵略も忘れて仲良くなりまちょー。(←ならない)