台風こわかった。(>_<) わしがこの目で見た中で、こんなに勁い風は無かった。
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ちなみに肝冷斎はあまり年をとらないので、長生きである。この目で見た世界はもう400〜500年になる。さらにその前の生のときの記憶もある。この話の続き。
17世紀。首里。
肝冷斎は儒者の服を着て付け髭をつけて変装すると、蓑翁の庵を訪ね、翁に問うた。
翁之為人、其非儒而兼仏歟。
翁の人たるや、それ、儒にして仏を兼ぬるものにあらざるか。
「じじいさま。あなたさまの生き方は、儒学と仏法を併せ修めるということではござらぬか」
じじい、笑いて曰く、
仏行儒行天地懸隔。若兼為之、豈謂之儒、豈謂之仏。
仏の行と儒の行と、天地のごとく懸隔す。もし兼ねてこれを為さば、あにこれを儒と謂わんや、あにこれを仏と謂わんや。
「仏法の指し示す日常行動と儒学の指し示す日常行動は、天と地のように隔たっておるぞ。もしその両者をあわせて行動するなら、これを儒者といえるのかな。あるいは仏徒といえるのかな」
「ふむ・・・」
みのかぶりのじじいは肝冷斎が腑に落ちないようすなのを見て、続けておっしゃいました。
「行動の面ではな・・・。ただし、
夫仏与儒、雖大異而治其心一也。
それ、仏と儒とは、大いに異なるといえどもその心を治むるは一なり。
そうじゃ、仏法と儒学とはたいへん違うものであるが、心を治めようとするものだ、という点では一緒ですじゃ。
故吾逢僧則談心術之要、亦逢士民則談徳行之要、総要使他解惑修身而已矣。豈有儒而兼仏之方耶。
故に吾は僧に逢いては心術の要を談じ、また士民に逢えば徳行の要を談じ、総じて他をして惑を解き身を修むるを要(もと)むるのみ。あに儒にして仏を兼ぬるの方有らんや。
だから、わしは仏の徒とは心理の問題を論じあい、一方、世俗の指導者や人民とは能力・行為の問題を論じあう。全体としては、そのひとの迷いを解決し、そのひとが自分を保持していけるようにしようとしているだけなのじゃ。どうやって儒学と仏法を併せ修める方法があろうか」
「むむむ」
肝冷斎はそれを聞いて唸り、
「へらず口を利くじじいめ・・・。まあよい、今日のところは引き上げじゃ」
とそそくさと帰っていきました。
「ほえほえ〜、なにものじゃ、儒者の服は着ているが儒者の教養や徳誼があるとは思えぬが・・・」
みのかぶりのじじいは首をひねっていました、とさ。
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「蓑翁片言」より。
明日は出勤だなあ。洗濯にも行かないと。