明日から○○島の予約とってあったのに・・・。台風17号で船が欠航するのでキャンセルです。しかも明日、台風の中、欠航証明書というのをもらってこなければならないらしいのです。一日二往復の船が欠航したかどうか、欠航証明書無いと証明できないのか。世の中難しいのね。・・・と、高校野球も順延? しかも日曜日も? 日曜日は台風一過で好天になるに決まっているのにーーー! オカしい、絶対にオカしい〜!
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北宋の仁宗皇帝のころ、許州に段穀なる者あり。次々に試験に受かって進士にまでなり、また家は豊かで富んでいた。
ところがこのひとが、とつぜんオカしくなったのである。
昼も晩も同じ冠をかぶり、厚手の服の上から白銀の帯を締めて、市街を歩き回るのである。
そして、謳吟して曰く、
一間茅屋、尚自修治。 一間の茅屋もなお自ら修治すべし。
信任風吹、連簷破碎。 まことに風の吹くに任すれば、簷を連ねて破碎せん。
斗栱斜欹、看看倒也。 斗栱も斜めに欹(そばだ)ちて、看す看す倒れん。
倒也、倒也、倒也、倒也・・・・。(「倒也」の二文字、連呼すること三〜五回)
牆壁作散土一堆、 牆壁は散土の一堆と作(な)るも、
主人永不来帰。 主人永く来たり帰らず。
一間限りのあばら家だとて、自分で棲むなら修理もできるが、
風に任せて放っておけば、のきばも次々壊れて行くぞ。
屋根のますがたも斜めに傾き、みるみるうちに倒れるぞ。
倒れるぞ、倒れるぞ、倒れるぞ、倒れるぞー!
土塀も壁も土くれとなり、
御主人さまはいつまでも帰ってこない。
その姿や歌がよっぽどおもしろかったのでしょう、
遇其出入、則有閭巷小児数十随而和焉。
その出入りに遇うや、すなわち閭巷の小児数十の随いて和するあり。
彼が歩いているのを見かけると、すぐに路地裏のこどもたちが数十人も集まって来て、彼のあとについて練り歩き、一緒に歌を歌うのだった。
こどもたちの人気者だったのでちゅう。
人以狂待之。
人、狂を以って待つ。
おとなたちは「あいつはもうオカしくなってしまったのさ」と相手にしなかった。
しかし、その歌のうたうところ、本当は真剣に考えるべきことだったのではないだろうか。
段穀は慶暦(1041〜1048)の末年に死んだ。
親族はこれを郊外に仮埋葬し、数年経ってから本葬を営むために仮墓を掘り返し、棺を開いた。
但空棺耳。
ただ空棺のみ。
棺の中には何も無かった。
段穀は尸解という方法を用いて、そのまま仙人になってしまったことがわかった。そのときになってひとびとは、はじめて段穀は狂ってはいなかったのではないか、と疑うたということである。
―――この事件、
王允成承制在許州親見之。
王允成承制の許州に在りて親しくこれを見る。
承制官の王允成どのが、
「許州に住んでいたころ、わしが実際にこの目で見たことなのじゃ」
と言うて話してくれたのである。
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宋・張師正「括異録」巻七より。
張師正は大中祥符九年(1016)の生まれですから、本当に同時代のお話である。「実際にこの目で見た」という人に聴いたのですから徹頭徹尾真実であること疑いない。