数日どたまがかなり痛いので、更新を休んでおりました。ふだんは更新を休むとほかの仲間が勝手に更新しているのですが、今回は台風やら尖閣やらいろいろあってみなさん忙しかったのでしょう。
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「元史補遺」という本に出てくる話だそうですが、数人のモンゴル貴族たちが、萬竹山というところに隠棲しているという道士・呂微之を訪ねて行ったときのこと。
貴族ども、山中に入り道士の住処といわれるあたりに達した。しかし、家屋敷はもちろんのこと、草の庵さえ見当たらぬ。
「道士さまはどこにおられるのか」
「このあたりと聞いたがのう」
とあたりを見回してみる。道端に米を入れてあったとおぼしき桶が一つ転がっているだけである。
「このあたりに居たことは確かだなあ」
「米がまだ残っているならここへお戻りになるであろう」
と、貴族の一人が桶の蓋を開けてみて、
「あ」
と驚いた。
米桶中坐一人。
米桶中に一人坐したり。
米入れの桶の中には、人が一人座っていたのである。
老婆であった。
「あ、あなたさまは・・・」
と訊ねると、この老婆こそ、呂道士の妻であった。
「あの甲斐性無しは草庵の一つも建てられのうて、わしらはこの桶の中に暮らしておる」
とのこと。
「そ、そうですか、それはそれは・・・」
「して、道士さまはどちらに?」
老婆の指さして言うには、
溪上捕魚。
溪上に魚を捕らうるなり。
「この先の谷川に魚を捕まえに行っとるよ。
おまえさんらが来るとわかっておったからなあ。まあしばらく待っていなされ」
そして、「にひひひ〜」と笑ったのであった。
「は、はあ・・・・」
しばらくすると、小柄な老人が酒壺を一つ抱えてやってきた。
「これはこれは貴族のみなさま、ようお運びで」
これが呂微之であった。
「あなたは魚を捕りに行かれたと聞いたが・・・」
「さよう、捕った魚を麓の店で酒と交換してもらってまいりました。みなさまに一献差し上げようと思いましてのう」
「はあ・・・」
「これ、はよう肴の支度をせぬか」
「はいはい」
気づくと、道士の妻は米桶から出てその傍らに立っており、米桶を覗き込んで、「これでよろしかろうかな」と次々と料理を盛った皿を取り出して来て、そのあたりに並べたのであった。
たちまちその場に宴席が出来た。そのあとは、
尽歓。
歓を尽くす。
楽しみを極めた。
というのであるから、モンゴル貴族どもには驚くような立派な酒と肴であったのであろう。
貴族どもが気がつくと、もう朝であった。すでにそのあたりには米桶は無く、呂道士夫妻は既に
遷居矣。
居を遷せり。
どこかに住まいを移したらしかった。
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以上。元のころに話だということですが、清の姚之駰「元明事類鈔」巻十六に所収。
米桶に夫婦で暮らしているなどという。せです飲みまくっているのですで、そのためのまぼろしか。しかしせですはちっとも効かないので、もう寝ます。寝られるかなあ・・・。