平成24年8月21日(火)  目次へ  前回に戻る          

 

次の文章を読んでみてください。

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蟹八足而二螯、天下人無不識者。

蟹は八足にして二螯なること、天下ひととして識らざる者無し。

カニが八本脚でハサミが二本であること、天下に知らない人なんかいない。

ところが「荀子」には、

蟹六跪而二螯。

蟹は六跪にして二螯なり。

カニは六本脚で、ハサミが二本だ。

と書いてあるのである。

荀子、名は卿。戦国末期、河南にあった趙の国の生まれ、山東の斉に仕えて三度「祭酒」(神殿の教官)となった。さらにその後、湖北・湖南の楚の国に行き、蘭陵の令となったひとだ。

趙斉皆有蟹而楚又蟹之郷也。

趙・斉にはみな蟹あり、楚もまた蟹の郷なり。

趙にも斉にもカニは棲息しているし、楚といえばカニの本場である。

荀子のような戦国末期の代表的儒者が、「カニは六本脚でちゅ〜」などとコドモのような間違いごとをいうとは何事であろうか。

さて、漢の許慎「説文解字」にもまた

蟹六足而二螯。

蟹は六足にして二螯。

カニなるものは六本脚ではさみが二本。

と書いている。

許慎は「五経異義」という大著もあり、

当時号為博物。

当時号して博物と為す。

そのころ、「ものしり」といわれたひとだ。

それなのに「カニは六本脚でちゅー!」である。

非不識蟹、蓋徇荀子之説而忘其所以為誤耳。

蟹を識らざるにあらず、けだし荀子の説に徇(した)がいてその以て誤りと為すところを忘るるのみならん。

彼がカニを知らなかったはずがない。しかし、おそらく「荀子」の説明をうのみにして、間違いだと思っても直すのを忘れてしまったのであろう。

ああ。

蟹之為物甚賤而至広者也。

蟹の物たるや甚だ賤しく、広きに至るものなり。

カニは、ありふれたもので、しかもどこにでもいる。

その脚の数を二本も減らしてしまったのだ。荀子の誤りは大きいと言わざるを得まい。

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元・李冶「敬斎古今(けいさい・ここんとう)巻五より。

以上を読んだ上で、ここ(←ウィキペディアですが)を見てください。よく勉強しておられるのですが、荀子や許慎が間違っていた、とも言い難いわけです。やつらはタラバガニ食べてたんだな。

どうも沖縄の食べ物、おいらの口には合わないのさー。今日「うどん」という看板を出した店で「かきあげうどん」食べてみたが、・・・う〜ん。・・・確かにこれなら沖縄のひとが「沖縄そばは、うどんやそばより美味いのさー!」と豪語するのも正しいような気もしてまいります。

ちょっとタラバガニとかサッポロラーメンでも食いに行ってくるかな、と思う今日このごろ。

なお「黈」(とう)というのは見慣れない字ですが、「黄色」という字義のほか、「のべる」「くりひろげる」という義もあり、「敬斎古今黈」という書名は「敬斎先生が古今のいろんなことについて好き放題の議論を繰り広げるよー」という意味になります。

 

※さらに函館で証拠写真を撮影した。双方の脚数を数えてみよう。

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