は・・・い・・・さ・・・い・・・。お・・・おいらは琉球童子。本来は元気なおいらも、さすがに月曜日は疲れるのさあ・・・。疲れ果ててもう眠ろうとするおいらの耳に、また、あの不気味な音が聞えてくる・・・。
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その姿が見えないのに、そのものの声だけがする。そして、その声が知られた鳥獣の声でないとき、この声を「神声」という。
山中などで、ときおり夜のしじまの向こうに、
おおおおおう。おおおおおう。おおおおおう。・・・
と低い声が聞こえ続けることがあろう。あれが「神声」である。
さて、古代・周のころ、王室に代々仕える「庭氏」という一族があった。
彼らはこの「神声」が聞こえ出すと、大司寇からの連絡で王の前に召され、
「聴こえるか、あの譆譆出出と啼く声を」
と問われます。(「譆譆出出」→「ききすいすい」=キーキーシューシュー、という音である。機械音のようにも推測されるが断言は避けておきたい。)
すると庭氏は、やおら
「心得たり」
と言うて立ち上がり、王の廟前において
@
以大陰之弓与枉矢射之。
大陰の弓と枉矢を以てこれを射る。
「大陰の弓」に「曲がった矢」をつがえ、その声のする方に向かって射るのである。
「大陰の弓」とは月食の時に矢を射るために使う聖別された弓で、弓形のしなりがない(弓が棒状になっている)ものであるらしい。
「枉矢」(曲がった矢)は、「救日の矢」とも呼ばれ、これは日食のときに「救日の弓」という湾曲した弓で射られるもの。曲がっているから、もちろん狙ったところに飛ぶはずがない。
この矢が、大陰の弓で射られ、ひゅうと闇の中に消えて行くと、「神声」は聞こえなくなるものなのだそうである。
なお、庭氏の本来の仕事は、
A
掌射国中之夭鳥。
国中の夭鳥を射るを掌る。
国のうちの妖しい鳥を射ることを所掌する。
ことにある。
その職掌の延長線上に、上記の@のしごと、及び、
B
若不見其鳥獣、則以救日之弓与救月之矢、夜射之。
もしその鳥獣を見ざるも、すなわち「救日の弓」と「救月の矢」を以て、夜、これを射る。
姿が見えないが、鳥か獣であると解されるもの(これを「怪」という)が鳴く夜には、上記の「救日の弓」にまっすぐな「救月の矢」をつがえてこれを射る。
を所掌するのだということである。
いずれにしろ一年中あるしごととも思えないので、これだけで食っていたのではないと思われる。
ちなみに、夭鳥の巣が明らかであるときは担当が違います。
これは「摘簇氏」(てきそう・し)のしごとであり、彼らは巣の上に、以下のものを刻んだ粘土板を置くのだという。
すなわち、ア)10の太陽の名前(「干」)、イ)12の天上の区分の名前(「辰」)、ウ)12の月の名前、エ)十二の木星の宿りの名前(「歳」)、オ)28の星の宿りの名前(「宿」)である。
すると、
則去之。
すなわちこれを去る。
たちまち、夭鳥はその巣から去ってしまう。
のだそうである。
ただし彼らのしごとはこれだけ。「庭氏」よりもスカスカなので、どういう勤務形態になっていたのであろうか。
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「周礼」巻37より。この本、ほんとにおもしろいでしょう。読んでも読んでも読むたびにじゅくじゅくとおもしろさが滲みだしてくる。この「おもしろ汁」を啜って明日もがんばるのさー。ちなみに「不気味な音」はとりあえず「冷蔵庫の音」だったことがわかったのさー。ああよかった。さて寝よう・・・と思って目を閉じてみると、また別の音も聞こえるのですが・・・。(>_<)コワイ