今日親会社に戻る若いひとの送別あり。しっかりした方であった。今度ヨメをもらう(もらわれる?)という。ヨメをもらうとは、大変な決断ですなあ。
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昨日までの宿題はとりあえず忘れまして。
明のひと、劉麟之、薬草を求めて河南・衡山に奥深く入り込んだ。
探し求めるうちに、いつの間にか帰り道を失ってしまう。
―――どうしたものか・・・。
見有一澗水、水南有二石囷、一囷閉、一囷開。
見るに一澗水あり、水南に二の石囷(せききん)ありて、一囷は閉ざされ一囷は開きたり。
ふと見ると目の前を谷川が流れ、その向こう側には二つの石の建物があった。一方の建物は扉が閉ざされており、もう一方の建物は扉が開いているようであった。
「囷」(キン)は「(コメを貯える)倉」である。
―――なぜこんなところにあんな建物が?
しかし、
水深広不得過。
水深く広くして過ぐるを得ず。
谷川は深く、幅も広く、向こう岸に渡る方法がない。
―――どうすれば向こう岸に渡れるのか・・・。
しばらくうろうろとしているうち、突然、
「これ、おぬし」
と呼びかけられた。
振り向くと、老いた猟師が立っていた。
「おぬし、こんなところで何をしている?」
「おお。山中に薬草を採りに来て、迷った者でございます」
「なんと、そうであったか。それならわしに就いて来なされ」
「やや、それは有りがたし。ところで・・・」
「ところで?」
「あの石の建物は何でございますか?」
「石の建物? はあ?」
「いや、あの・・・」
と、さっきまで石の建物のあった方を指さしてみたが、そこにはそんなものは見当たらなかった。ただ、谷川の水の流れる向こうには鬱蒼たる森があるばかりであったのだ。
麟之は猟師の後に従って、何とか山から帰るを得た。その後、ことあるごとに、書物を讀んで豊富な知識を持っているといわれる人たちに石の建物について訊ねてみてもはかばかしい答えはなかったが、ただある人が、
「山中にはそういう建物があり、中には仙薬やいろんな宝物が入っているのだ、と聞いたことがある」
というたので、再び彼は衡山の中に分け入って、かの谷川を探そうとした。
しかし、
終不知処也。
ついに処を知らず。
とうとう探し当てることができなかった。
これらのことを聞くと、
名山洞府、信有之。
名山洞府、まことにこれ有るなり。
神仙の棲むという名山や洞府(山中の町)というのは、本当にあるものなのだなあ。
と思わされることである。
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明・謝肇淛「五雑組」巻四より。
ああ、あのとき、勇気を持って向こう岸に行っておけば・・・という後悔をすることは時々ありますね。わたしにも、あります。でも、おそらく向こう岸に行かなかった今の方が自分としては相応しい人生なのだろう、とも思いますじゃがのう。じゃがじゃが。