今日は涙無くして読めないお話。
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晋の劉伶、字・伯倫は、酒に病み、酒無くしては過ごせぬ体となってしまった。依存症の生みだす悲劇であります。
渇甚、従婦求酒。
渇すること甚だしく、婦に従いて酒を求む。
酒が無いとどうしようも無い。妻にすがって酒を求めた。
妻は、その劉伶の目の前で、
捐酒毀器、涕泣諌。
酒を捐(す)て、器を毀(こぼ)ち、涕泣して諌む。
酒を棄て、酒器を壊し、涙を流しながら訴えたのだった。
「おまいさんの飲酒は行き過ぎです。これでは体を養い命を長らえることはできません。どうぞ、お酒をお止めになってください」
「おお」
劉伶は何度も頷いて、言うた。
甚善。我不能自禁。
甚だ善し。我、自ら禁ずるあたわず。
「そのとおりじゃ、よう言うてくれた。・・・しかし、わしは自分でよう止めん」
しばらく頭を抱えているふうであったが、やがて、早口に言うた。
唯当祝鬼神自誓断之耳。便可具酒肉。
ただまさに鬼神を祝して自らこれを断ずるを誓わんのみ。すなわち、酒肉を具うべし。
「そ、そうじゃ、神霊に誓いを立てて、酒断ちをするのじゃ。神霊の力を借りるしかあるまい。よし、善は急げじゃ、すぐ神霊を祀るための酒と肉を用意してくれ」
妻は
「よう言うてくれましたなあ」
と喜び、うれし涙をぬぐいながら、神前に供える酒と肉を用意した。
劉伶はこれを神棚に備え、その前に跪いて、誓いて曰く、
天生劉伶、以酒為名、一飲一斛、五斗解酲、婦人之言、慎不可聴。
天、劉伶を生じ、酒を以て名を為さんとす、一飲一斛(こく)、五斗にして酲(てい)を解かん、婦人の言や、慎んで聴くべからざるなり。
天がこの劉伶をこの世に生んだのは、飲酒の名を高らかにせんがためであろう。
一たび飲めば一斛は飲む、五斗に至れば体の震えもようやく止まる。
女の言うことなど、どうして聴き入れることができようか。
当時の「一斛」は20リットル、「五斗」はその半分だから10リットル。「酲」(テイ)は注に「酒病なり」という。アルコール依存症の禁断症状であろうか。
そして、
引酒進肉、隗然已酔矣。
酒を引き肉を進め、隗然(かいぜん)としてすでに酔えり。
神棚の酒を手元に寄せ、肉を食らい、すぐに酔って横になってしまった。
「隗然」は酔うて倒れる様子、という。
それにしてもこの後、劉伶は奥さんにどんなふうにされたのでしょうか。想像するだに、涙無くしてはいられない。
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「竹林七賢論」に拠る、ということですが、晋書・劉伶伝にも書いてあります。とりあえず「世説新語」巻二十三より引用。「劉伶解酲」(劉伶酲を解く)という有名な故事でございます(「蒙求」第374則)。
なお、劉伶は
常乗鹿車、携一壺酒、使人荷鍤而随之。
常に鹿車に乗り、一壺酒を携え、人をして鍤(そう)を荷わせこれに随わしむ。
いつも小さな車に乗って外出する。その際には酒の入った壺を一つ持っていく。そして、人にスコップを担がせて、後からついてこさせるのであった。
振り向いて
謂曰、死便埋我。其遺形骸如此。
謂いて曰く、「死なばすなわち我を埋めよ」と。その形骸を遺(わす)るることかくの如し。
その人に言い聞かせて、「わしが死んだら、その場所に穴を掘ってわしを埋めてくれ」と。このように、その肉体のことなどどうでもいいと思っていたのだ。
というひと(晋書・劉伶伝による)で、竹林七賢の中でも屈指のデカダンである。彼の行動、どこかに病的な自傷行為のにおいさえする。
でも、いつも外出してしまうのは奥さんがコワかったからカモね。ちなみにこのひと、意外と長生きして、「その寿を以て止む」(自然死した)そうです。
ではまた明日・・・と、筆を擱く前に、「鹿車」について。
上で「小さな車」と訳しました。
後漢書・儒林伝(巻109下)にいう、
任末は字を叔本といい、蜀の繁のひとである。若くして「詩経」の学を修め、洛陽にあって教授すること十数年に及んだ。友人の董奉徳が洛陽で亡くなった際に、
躬推鹿車、載奉徳喪、致其墓所。
躬(みず)から鹿車を推し、奉徳の喪を載せ、その墓所に致す。
自分自身で「鹿車」を押して、董奉徳の棺を乗せ、その墓所まで運んでやった。
これ以来、友誼に篤いひととして、名を知られるに至ったのである。云々・・・。
このように、人が押すのですから、決して「鹿に牽かせる車」ではありません。「わずかに一頭のシカを入れることができる程度の」小さな車のことを言います。