平成24年5月20日(日)  目次へ  前回に戻る

 

明日は日食です。朝方は天気悪いということですから日食は見れんけど空だけ暗く、夜が長く続く感じになるのかな。

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原始〜古代の三代(夏・殷・周)の時代には、日食はあらかじめ予想(「預占」)できませなんだ。それゆえ為政者は、日食が起こると、

―――天が何かをお叱りなのではないか。

と考え、己れの政治を省みたものであると申します。

だから、孔子はお弟子の曾子にこうおっしゃった。

諸侯見天子入門、不得終礼者、太廟火、日食是也。

諸侯、天子に見(まみ)えんと入門するに、礼を終うるを得ざるは、太廟の火と日食これなり。

諸侯が参勤して天子にお目通りする際、宮の門を入ってからは中止しない決まりだが、中止する場合が二つある。@入門した後に天子の御先祖さまのおたまやが火事になった場合とA日食が始まった場合がそれである。

この二つの場合は、緊急の場合として、どんな重大事も中断して、天子は畏れつつしまねばならなかったのである。(※下注参照)

しかし、いにしえの人々は、現代のわれわれ以上に天異地変を気にかけていたはずである。

不知古人不能知耶。抑知之而不以告耶。

知らず、古人の知るあたわざるや。そもそもこれを知りて以て告げざるや。

いにしえの人々は日食を予想できなかったのだろうか。それとも予想はできてもそのことをあらかじめ人々に知らせなかったのだろうか。

使日食不預占、令人主卒然遇之、猶有戒懼之心。

日食をして預かじめ占わず、人主をして卒然としてこれに遇わしむれば、なお戒懼の心あらん。

日食を予想せずにおいて、為政者に突然それに遭遇させたなら、おそらくおのれを戒め、天を懼れるの心が湧くであろう。

いにしえの人々が現代のわれわれより劣っていたとは言えまいから、天文官たちには予想ができても、天子以下のひとびとに己を省みせしむるために告げなかったことも大いに考えられるのである。

現代では、日食がどの時刻に起こるかまで予測され、天下の役所にその連絡が行くわけであるから、

不独人主玩之、即天下亦共玩之矣。

ひとり、人主これを玩(もてあそ)ぶのみならず、即ち天下またともにこれを玩ぶ。

皇帝陛下がお楽しみになさるだけでなく、天下のひとびともみな、楽しみにしているのだ。

わしが仕えたある知事の例など、日食の時刻までわかっており、その時間からお祈りをする必要があるというのに、

既蝕而後往、一拝而退。

既に蝕して後往き、一拝して退く。

食が始まってから役所に出てきて、一回だけ太陽の方に拝礼すると官舎に戻る。

そして、酒と料理を命じて日食を見ながら側近たちと一杯やり、

俟其復也、復一拝而訖事。

その復するを俟ちて、また一拝して事を訖(お)う。

食が終わったところで、また一回だけ拝礼して対応を終えてしまった。

ああ。

夫百官若此、何以責人主之畏天哉。

それ百官かくのごとし、何を以て人主の天を畏るるを責めんや。

臣下の責任ある者どもでさえこのような体たらくなのだ、どうして天子さまが天のお叱りを畏れ、反省してくれないなどと批判することができようか。

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明・謝在杭「五雑組」巻一より。念のため言うておきますが、文中「現代」とあるのは明の中期のことですよ。

天文現象を政治に利用する利用の仕方を調べ、時代や文明ごとに比較したりする学問分野を「天文政治学」というのだそうですが、今や、明日は小学生も朝から観測。テレビも日食日食と唱え、経済効果何百億という推定さえ出ている。これを楽しまないことをさえ批判するような天文ポピュリズムの時代でございます。主権あるみなさまがこれを喜んでいるのだ、為政者がこの体たらくも致し方ないであろう。

※注:実際には「礼記」曾子問篇では孔子は「四つの場合である」と言っておられまして、この二つのほかに、B天子が后の喪に服しているとき、C雨が降ってきて衣服が濡れるときの二つが加えられている。謝在杭はめんどくさいので二つだけ挙げたのであろう。

御参考→晋・張華「博物志」より「日月食等」

 

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