もうお彼岸ですね。
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ほんとうは端午の節句に話せばいいことなのですが、そのころはわしはこの世にいないか、あるいは別の問題意識を抱えて生きているでありましょうから、今日のうちに話しておく。
まずは以下の、宋の沈括の「夢溪筆談」(補巻三)に出る有名なお話を読みなされ。
・・・玄宗皇帝が驪山の離宮で武芸の演習を行い、疲れ果てて宮殿にお戻りなって体調を崩されたときのことなのじゃ。
病というほどのこともないが、ひと月以上経ってもなかなか元通りにならぬ。医師も巫女も試みられたが何の効果もなかった。
そんなある晩のこと、
夢二鬼。一大一小。
二鬼を夢む。一は大にして一は小なり。
二匹の精霊の夢を見た。一匹の方は大きく、一匹は小さい。
小さい方のは赤い服を着て鼻は上向き、片っ方の足には屐(サンダル)を引っ掛けもう一方の足は裸足、紙の扇を手にして、
「きゃははー」
と笑いながら
窃太真紫香嚢乃上玉笛、繞殿而奔。
太真が紫香嚢の上の玉笛を窃(ぬす)み、殿を繞りて奔る。
「太真」とは貴妃・楊玉環の女道士としての名前である。
楊貴妃の紫香のふくろから、帝の愛用の玉笛を盗み出して、それを手に宮殿の周囲をぐるぐる走り回っていた。
大きい方は帽子をかぶりヒゲをはやし、藍色の袴をつけ、
「いい加減にせよ」
と怒鳴りながら一方の肩をはだぬぎにし、両足には革のくつをはいて、小さい方の鬼を追いかけていたが、
捉其小者、刳其目、然後擘而啖之。
その小者を捉え、その目を刳りぬき、しかる後、擘(さ)きてこれを啖らう。
やがて小さい方をつかまえると、その目をぐりぐりと刳りぬき、さらにぶちぶちと引き裂いて、食べてしまった。
おお。モーレツ。かなり残虐。大陸的です。
むしゃむしゃ。
帝は、残った大きい方に問うた。
爾、何人也。
なんじ、何人なるや。
「おまえは、いったい何者じゃ」
大きい方は帝に声をかけられると居住まいを正し、畏まって答えた。
臣鍾馗氏、即武挙不捷三進士也。
臣は鍾馗氏、即ち武挙に捷(か)たざること三たびせし進士なり。
「やつがれは鍾馗(しょうき)と申し、武官の採用試験を三度受けてとうとう合格できなかった官吏志望者でござった」
三度目に落第したとき、彼は屈辱に耐えきれず、試験場のきざはしに自ら頭をぶつけて自殺してしまったのだという。
「そのとき、陛下は、やつがれに緑の上着を御着せ掛けくださり、丁重に葬るように命じられた。その御恩を返すため、
誓与陛下除天下妖孽。
誓うに陛下のために天下の妖孽を除かんことを。
(人外にあって)陛下のために天下のあやかしどもを退治することを誓ったのでございます」
―――と聞く間に夢から醒めた。
「はて。そんなことあったかなあ・・・」
と、帝は寝返りを打った・・・。
翌日になって起き出した帝は、体調がよくなっていることに気が付いた。元通りになった、というより、以前にも益して力がみなぎってくるようである。
(ふふ、これなら玉環のやつめを悦ばせてやれるわい)
という下品なことを思ったかどうかは知りませぬが、帝は宮中画師の呉道子をお呼びよせになり、夢のことを話して、その鍾馗と名乗った精霊の画を描かせた。
呉道子、
「はあ」
と生返事しながらたちどころに一体のおとこの画を描いて帝にお見せ申しあげると、帝は「やや」と声を発して曰く、
是卿与朕夢同耳、何肖若此哉。
これ、卿は朕と同じきを夢みるのみ、何ぞ肖(に)たることかくのごときや。
「おまえは朕と同じ夢をみたのか。そうでなければ、こんなにそっくりにあのおとこのことが描けるはずがあるまい」
とお喜びになられて、千金の褒賞を与えたのであった。
・・・それ以降、家々では、鍾馗様の画像を掲げて、魔除けとするようになったのである。
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鍾馗様の縁起を語れば必ず出てくるお話でございます。清・趙翼「陔餘叢考」巻35にも詳しい。
実際には六朝時代から、鍾馗という名前のひとはたくさんおり、もともと椎(つち)のことを「終葵」(しゅうき)といい、魔除けの武具としての椎を擬人化したものであった、とも申します。
・・・まあ、そのあたりの考証はいずれ致すこととしまして、今度は次の詩を讀んでください。
于思睅目突其冠、 于(う)、思(さい)にして睅(かん)たる目、突たるその冠、
想見腥風迸指端。 想い見るに腥風、指端に迸(ほとば)しらん。
「于」(う)は「ああ」という声、「思」(さい)はヒゲだらけの顏をしていることをいい、「睅」(かん)は飛び出しそうな目をいうのだそうで、すべて「春秋左伝」に出てくる文字。
ああ、ひげだらけ、ぎょろぎょろと飛び出すような目の玉、高くそびえるようなかんむり。
この目でみるようだ、(小さい精霊の目の玉をくりぬき)血なまぐさい風が、そのひとの指先から流れ出してくる姿を。
ここまでは上記の「夢溪筆談」に出る鍾馗さまの姿をうたっている。
ところで、鍾馗さま。
別有夔魖君識否。 別に夔魖(き・きょ)あり、君識るや否や。
「夔」(き)は山中の一本足の怪(木霊であるという)、「魖」(きょ)はひとを疲れさせ疫病を流行させる怪物であるという。要するに妖怪のこと。
ほかにも当時、(天下にあだなす)妖怪がいたのに、あなたは気が付かなかったのか。
その妖怪は、
沈香亭北倚欄干。 沈香亭北、欄干に倚る。
沈香亭の北がわで、おばしまにやるせなさそうに身をもたれさせていたはずだが。
これ、本朝・備後の菅茶山の「鍾馗」詩。
結句はあまりにも名高い李白の「清平調詞」の結句をそのまま使っております。
ある晩、長安市中で酔っぱらっていた李白は、突然天子の使いに呼び出されて、宮中の沈香亭に連れてこられた。
そこでは、牡丹の花盛り、玄宗皇帝と楊貴妃を中心に宴げの真っ最中。
帝は、李白に、
「せっかくのうたげじゃ。古い歌では面白うない。おまえの作詞で李延年に歌を歌わせたい」
とのたまうた。
そこで李白が酔って震える手で書いたのが、「清平調詞」(清平調のメロディーで歌ううた)。(ほんとは三首あって、いずれも素晴らしい。ちなみに李白はこの詩のために罪を獲た、ともいう)
名花傾国両相歓、 名花、傾国、ふたつながら相歓び、
常得君王帯笑看。 常に得たり、君王の笑みを帯びて看そなわすを。
解釈春風無限恨、 春風無限の恨みを解釈して、
沈香亭北倚欄干。 沈香亭北、欄干に倚る。
すばらしい牡丹の花、国を滅ぼしてもかまわぬような美しいひと。どちらもうれしそうに花盛り。
だからいつもわれらが帝も、ほほえみを浮かべて牡丹と楊貴妃を見ているよ。
春の風のもよおす尽きることのない思いを解きほぐして、
お二人は沈香亭の北側のおばしまに身をもたれさせておられるよ。
茶山老師は、この詩の結句をそのまま七字とも借りて結句にしたのである。
しかり、天下の妖怪とは、美女・楊貴妃、あるいは政務をも忘れさせた彼女への惑溺そのもののことであったのだ。
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ところで深夜というのに、さっきからカラスがうるさい。いよいよ何かあるのでございましょうかなあ・・・。