平成24年3月18日(日)  目次へ  前回に戻る

 

よし、今日も楽しく更新ちまちょー! と思ったのですが、明日会社だ・・・と気づくと、心が荒んできたぜ。

今日は残虐な話がしたいぜ。・・・お、ちょうどいい、「刮腸洗胃」(腸を刮(さ)き、胃を洗う)という記事があるから、これを紹介してやるぜ。

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六朝(呉、東晋、宋、斉、梁、陳)の四番目の王朝であります斉の初代・高帝(在位479〜482)が宋の帝位を簒奪(形式的には禅譲)したころ、竺景秀という官吏がおった。

この男、有能な行政官であったが、かつて高帝がまだ武将・䔥道成であったころ、政敵の側にあって、高帝を軍法違反を以て捕らえ、獄に下したことがあった。

その窮地は何とか脱して、やがて国の全権を把握したのであったが・・・。

高帝、謀臣の荀伯玉に問うて曰く、

卿比看景秀否。

卿、比(このごろ)景秀を看るや否や。

「おまえさん、最近の竺景秀を御存じかな?」

荀、即座に答えていう、

数往候之。

しばしば往きてこれをうかがえり。

「ひごろから彼のことは注目しておりますから、何度も様子は見ておりますな」

「ほう。・・・して、どうかな?」

「はあ? なにがですかな? むかしのことを思い出して処罰しますか?」

「いや・・・彼、用いるべきや否や」

荀、得たりとばかり手を打ち、曰く、

「ずいぶん帝を以前縄目にかけたことを反省しているようでございますよ。

・・・こう申しておりましたな。

若許某自新、必呑刀剖腸、飲灰洗胃。

もし某の自新するを許さば、必ずや刀を呑んで腸を剖(さ)き、灰を飲んで胃を洗わん。

「もしわたしが反省して新たな人生を歩もうとするのをお許しくださるならば、わたしは必ずや刀を口から飲み込んで、はらわたをかっさばいてその中にたまった汚れたものを掻きだし、さらに磨き砂になる灰を飲みこんで胃を洗い、きれいな体でもう一度、帝にお仕えする所存であります」

と」

「ほほう」

帝はその言葉に感心しまして、景秀を呼び寄せて近臣とした。

卒為忠信士。

ついに忠信の士たり。

その後、竺景秀は高帝と斉王朝に忠実に仕えたのである。

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史書に典拠があるのでしょうが、とりあえず今日ご紹介したのは、姜南「投甕随筆」より。

なんだこりゃ。政敵をすごい残虐に殺す話かと思ったのに、「いい話」だったではありませんか。この話が典故となりまして、「腸を割き胃を洗う」という四字熟語は、「反省してやり直す」という意味の故事成語になっているのでした。

比喩的表現だったのですね。久しぶりでチュウゴク文学の真髄ともいうべき残酷性が見られると思ってどきどきしたのにがっかりした・・・ことでしょう、みなさん。ひひひ。

 

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