暑いですね。しかし暑いのもあと1〜2か月ぐらいだそうですよ。囁かれるドル暴落?のころには涼しくなっているのかも。
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呉中のある富豪、年はちょうど五十歳になったが、家に不肖の子がおりまして、三十になっても働くでなく父に頼って生活していた。
たまたまこの家に星家(生まれ日等によって運命を占う術家→参照)が立ち寄り、父親と息子を占って、
父寿当八十。
父の寿、まさに八十なるべし。
「おやじさまは八十歳まで生きられる方ですなあ」
子当六十二。
子はまさに六十二なるべし。
「お子さまの方は・・・うーむ、六十二でしょうか」
と断じた。
すると、子どもの方は突然泣き出した。
「ああ、なんと、わては不幸なのでございましょう。
我父寿止八十、我到六十以後、那二年靠誰養活。
我が父の寿、八十に止まらば、我は六十以後、いかに二年、誰の養いに靠(よ)り活(い)きんや。
おとっつぁんが八十までしか生きられへんやなんて・・・。わては六十歳からあと二年間、どなたはんに養われて生きていけばええんやろか・・・」
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越中の挙人(科挙の地方試験の合格者。地方の有力者である)、新たに妻をもらった。
しかし同居しているふうでないので、同期の友人が訊ねた、
「おい、新しいヨメさんはどこに隠しているのだね?」
挙人曰く、
「湖のほとりの蕭寺の貸家を借りて暮らしているよ」
友人問う、
僧俗恐不便。
僧俗、不便を恐れん。
「坊主も俗人も、何か悪さをするかもしれんぞ」
挙人曰く、
已扃之矣。
すでにこれを扃(けい)せり。
「大丈夫だ。家にはカンヌキをかけてあるから」
友人曰く、
其如水火何。
それ、水火をいかんせん。
「おいおい、洪水や火事が起こったらどうするのだ?」
挙人、苦々しげに曰く、
「心配するな。
鎖鑰仍付彼処。
鎖鑰(サヤク)すなわち彼の処に付す。
カギはあちらが持っているんだ・・・」
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どうすか。少しはこの閉塞せる社会、沈鬱なる人生のさなかで、にやりとお笑いいただけましたでしょうか。(笑えるはずありませんよね。笑われているのはどちらもわれらの似姿だから。富豪を日本国、その子を国民、「養い」を「年金」と読み替えてみよ。あるいは「星家」を経済アナリスト某と読み替えてみよ。)
二話とも明代の笑話集の一つ、「雅謔」より。
この書は「浮白斎主人」の述作だとして馮夢龍の「古今譚概」巻二十五に収められているのですが、「浮白斎主人」は樗斎・張自昌という文人とも、あるいは馮夢龍自身の筆名ともいう。
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