平成22年12月19日(日) 目次へ 前回に戻る
←在りし日のハマスタ
昨日は渋谷で日の丸散歩をしてきました。
今日は
充実した週末であった。ああ、明日が来なければよりすばらしい週末であったのになあ。もうすぐ来るなあ・・・。
開港資料館監修の「横浜うた物語」を聞く。川上座の「オッペケペー節」(収録1900パリ)を聴くのははじめてである。予想どおりの芸風でした。またポンコツとはクリーニング用語にて「pounds cotton」なり、とぞ。
など、新知識を大量に得た。
最後はヨコハマ港でナイトクルージングと洒落こみ、星の光のようにさんざめく街の灯りを見てきたぜ。
・・・あれ? 星の光のような灯り? それはアレみたいなもの? 「アレ」ですよ、「アレ」。
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夜来輙聞追賊声。
夜来、すなわち追賊の声を聞く。
深夜ごろ、突然、軍隊が賊を追いかけるらしい声が聞こえてきた。
「何かあったのか」
寝床を跳ね起きて家の外に出てみたところ、
果有火光無数、起滅不常、乍遠乍近。
果たして火光無数に有りて起滅常ならず、たちまち遠くたちまち近し。
やはりというべきか、空に火の光らしきものが無数に見え、規則性も無く点いたり消えたりしており、遠ざかったかと思うと近くに現われるのであった。
光はしばらく明滅していたが、やがて見えなくなってしまった。
「む。むむむ・・・。これはアレかも・・・」
翌朝になって情報を集めてみたが、やはりというべきか、
踪之絶無影響。
これを踪(たず)ぬれども絶して影響無し。
どう探ってみても、まったく該当するような事件は無かったのだ。
「やはりアレだったか・・・」
・・・もう五十年も前になる。確か、壬辰年(康煕五十一年(1712))の年の暮だったと記憶している(当時わしはまだ八歳だったのだ!)が、夜半、門を激しく叩く音がして、じいさま(「大父」)が血相を変えて寝所を飛び出して来た晩のことを思い出す。
門を叩いたのは屋敷のすぐ外に住んでいる使用人の鄭であった。
「大だんなさま、大だんなさま、空に、空にーーーー!」
という鄭の恐れおののいたあの叫び声を、わしは忘れることがない。
まだ幼かったわしは窓の障紙越しに見るばかりであったが、
火光燭窗、勢若数十人排空而来。
火光窗を燭(て)らし、勢は数十人の空を排(おし)て来たるがごときなり。
火灯りが窗をあかあかと照らし、数十人のひとが(松明を持って)空から降ってきているかのように思えた。
そして、
急起鳴金。
急に鳴金の起こるあり。
激しく金属をうち鳴らすような音が聞こえたのだった。
その晩はおやじどの(「先君」)は村の北の荘園の方に行っていたから留守で、おふくろや侍女たちは恐れおののいていた。
じいさまは下男どもを指揮して門や塀の破れを守らせ、自分は屋根に昇って様子を伺っているようであったが、やがて屋根の上から
火漸遠勿怖。
火ようやく遠し、怖るるなかれ。
「光は遠ざかったようじゃ、もう大丈夫じゃろう」
というじいさまの声を聞いたころ、わしは眠ってしまったのであった。
じいさまと下男たちは結局夜明けまで見張りを続けたらしい。
そして、
至除夜、正料理歳事、伝言寇至矣。
除夜に至り、まさに歳事を料理するに、伝え言うに寇至れり、と。
大晦日の夜、ちょうど年越しの儀礼を行っているときに、「盗賊が近づいている」といううわさが伝わってきた。
おふくろさま(「先夫人」)と女衆、それに幼いわしらは土蔵に隠れ、じいさまは弓矢の弦を張り、村のひとたちも鋤や鍬を持って一番大きなわしの家に集まってきて自衛したのである。
しかし、
究亦寂然。
究むるにまた寂然たり。
結局のところ、なにもなかったのだった。
さて、
按之与今所見相類。
これを按ずるに今見るところと相類す。
思い出して考えてみると、アレと昨夜起こったこととは同じたぐいのことではないかと思うのである。
アレは何なのであろうか。
或云鬼兵、或云神火。
あるいは云う「鬼兵」と、あるいは云う「神火」と。
あるひとは「まぼろし兵」と呼ぶし、あるひとは「神秘のあかり」と呼ぶ。
しかしながら、
杳渺不必深求。
杳渺として必ずしも深く求めえず。
ぼんやりと謎めいていて、はっきりしたことはわからない。
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みなさんの言葉では「アレ」は何といいますか。
「もちろん、―――――のことでしょ?」
と言いかけましたが、やっぱり言葉にしてはいけませんよね。ヤラれちゃうもんね。
乾隆の時代の江蘇のひと、巣林散人の「巣林筆談」巻五より。この記事は、はっきり書いてありませんが、乾隆二十八年(1763)のことと思われます。(22.8.12を見ると「おやじどの」と「おふくろさま」が出てるよ。)