平成22年12月17日(金) 目次へ 前回に戻る
イノチガケでたいへんだワン。
「きみたちはアー!」
ヒゲをびんびんと跳ね上がらせた偉丈夫のおじさまが、若者たちに問いかけた。
「知っているかアア!? 趙孝子のことを!」
―――おおおおおおおお・・・。
若者たちは足踏み鳴らしながら雄たけびを上げるばかりである。知らないようだ。
「ではア、教えてやろおおおう!」
おじさまはヒゲをびんびんと撫でながら声を一段と張り上げて、教えた。
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趙天爵、字・伯廉は浙江平陽の解州・夏県のひとである。
一時期役人となったが、親族同士の不和や被雇用者の不平を多くやわらげて評判が高かった。
母の喪に遇うて
廬墓三年。
墓に廬すること三年。
三年の間、墓のほとりに小屋を作って暮らした。
父継喪、又如之。
父継いで喪するに、またかくの如し。
引き続いて父親が亡くなったので、またそのまま小屋に住んだ。
足掛け六年にわたって喪に服したのである。
その間、野菜だけしか食わず、飲酒や肉食はせず、妻や妾と顔を合わすこともなかったのである。
有司以聞于朝、旌表其門閭。
有司以て朝に聞し、その門閭に旌表す。
役所の方でそのことを中央政府に報告したので、その家の門前に旗を立てて「孝子」であることを顕彰された。
「妻のみならず妾までいたというのに、なんとすばらしいひとではないかア! きみたちもオ、孝行せえーーーーい!」
―――おおおおおおおおおお・・・・!
「若者たちよ、では、王義士を知っているかア?」
王義士といわれるひとは、同じ夏県のひとで、名前も同じ天爵といい、字は仁傑である。
財産のあるひとであったが、
以粟貸人、不図重息、年豊、僅取十之二三。稍饑但収其本。大凶則皆已之。
粟を以てひとに貸すに重息を図らず、年豊かなるも僅かに十の二三をとるのみ。やや饑うればただその本を収む。大凶なればみなこれを已む。
種粟をひとに貸しても、重い利息を取ろうとしはしなかった。たとえ豊年でも十分の二か三の利息しか取らないのだ。少々の凶作の年には何と元本だけ返させ、大いに凶作の年には元本さえ取らなかったのである。
村びとたちは、王の字を知らなかったので、みな
王義士(正義のひと・王さん)
と呼んでいた。
このひとはすでに両親は失くしていたが、、
毎値生身之辰、寝苫一月、以報父母。
生身の辰(シン)に値(あ)うごとに、苫に寝ぬること一月、以て父母に報いたり。
毎年自分の誕生日が来ると、それから一ヶ月間は苫ぶきの粗末な小屋で寝起きした。自分をこの世にあらしめてくれた父と母の恩を思い出すためである。
「お金持ちだというのに、粗末な小屋で寝起きするとは、なんとすばらしいひとではないかア! きみたちもオ、孝行せえーーーーい!」
―――おおおおおおおおおお・・・・!
「若者たちよ、では、繆孝子を知っているかア?」
繆(ビュウ)は名を倫といい、字は叔彛、泰山に近い山東・東平のひとである。
父の赴任に従って浙江・銭唐に住んでいたが、元末の至正十六年(1356)に淮軍が叛乱を起こして銭唐の町を攻め落としたとき、官吏であったその父は反乱軍に捕らえられ、殺されることになった。
倫哀号乞免。
倫は哀号して免ぜられんことを乞う。
繆倫は泣き叫んで、叛乱兵たちに父親の命を助けてほしいと懇願した。
しかし、反軍は
弗聴。
聴(ゆる)さず。
相手にしてくれなかった。
倫は家の財産をすべて差し出して懇願したが、
弗聴。
聴さず。
やっぱり相手にしてくれなかった。
そこで、
自縛請代。
自ら縛して代わらんことを請う。
自分で自分を縛って、父に代わって殺されたいと願い出た。
叛軍は
於是殺倫、而釈其父。
ここにおいて倫を殺し、その父を釈(ゆる)す。
これを見て、(「わかった、わかった」と)倫を即座に殺し、父親を釈放したのである。
「自らを犠牲にするとは、なんとすばらしいひとではないかア! きみたちもオ、孝行せえーーーーい!」
―――おおおおおおおおおお・・・・!
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さすがに飽きてきました。「南村輟耕録」巻二十四より。
みなさんも見習って、孝行してくださいね。♡