平成22年12月16日(木)  目次へ  前回に戻る

夜回りの声が聞こえますなあ。空気が乾燥し、冷え込んできたので、遠くの音が聞こえやすくなっているのだ。火の用心――。

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晋の武帝のとき、宮中の武器庫から失火して

焚累代之宝。

累代の宝を焚く。

先の王朝から伝わった国宝を焼いてしまったことがあった。

焼亡した宝物の中には、

有漢祖斬蛇剣、王莽頭、孔子履。

漢祖の斬蛇剣、王莽の頭、孔子の履(くつ)あり。

漢の高祖が出世前に大蛇を斬り捨てたときの剣、前漢を簒奪した王莽の頭蓋骨、孔子が履いていたというくつ、があった。

なんともったいないことではないか。火事には気をつけなければなりませんね。

ちなみに、斬蛇剣について。「史記・高祖本紀」を閲するに、

高祖・劉邦が若いころ、

酔酒、夜経沢中、斬一当道大蛇。

酒に酔いて夜沢中を経るに、一の当道の大蛇を斬る。

酒に酔って夜中に湿地帯を通ったことがあったが、このとき、道に横たわっていた大蛇を斬り殺してしまった。

別のひとがその後をふらふらとやってくると、

有一老嫗夜哭。人問何哭。嫗曰人殺吾子、故哭之。人曰嫗子為何見殺。嫗曰吾子白帝子也。化為蛇当道。今為赤帝子斬之、故哭。

一老嫗夜哭するあり。

人問う、何ぞ哭するや、と。

嫗曰く、ひと吾が子を殺す、故にこれを哭す、と。

人曰く、嫗の子、何すれぞ殺さるや、と。

嫗曰く、吾が子、白帝の子なり。化して蛇となりて道に当たれり。今、赤帝の子のためにこれを斬らる、故に哭せり、と。

史記の名調子に引かれて続けて引用してみましたが、実に簡潔にして達意のみごとな文章ですなあ。感心しますね。

ひとりのばばあが夜道で声を上げて泣いていた。

そのひと問う、「どうして泣いておられるのか」

ばばあ答える、「あるひとにわしの子が殺されたのじゃ、そのために泣いておる」

そのひと言う、「ばばあさまの子はどうして殺されたのか」

ばばあ言う、「わしの子は、白帝(を父とする)の子であった。変化して大蛇となって道に横たわって寝ておったのじゃが、さきほど、赤帝の子(の劉邦)に斬り殺されたのじゃ。だから泣いているのじゃ」

この白帝子の変化した蛇を斬ったという剣が「斬蛇剣」であり、劉邦以来、漢の国宝として、

乗輿法駕出、則侍中一人捧剣在左右。

乗輿の法として、駕出するにすなわち侍中一人、剣を捧げて左右に在り。

皇帝が輿に乗って外出するときには、必ず侍従官の一人がこの剣を捧げ持って帝につき随うこととなっていた。

というほど貴重なものであった。

王莽の頭蓋骨について。

にほん国でもノブナガさまが朝倉・浅井の頭蓋骨を椀にしたのが有名ですが、もとこの風習は北方遊牧民のものであった。

匈奴以月支頭為国宝、与漢使盟誓、出以飲酒。

匈奴、月支の頭を以て国宝と無し、漢の使と盟誓するに、出だして以て飲酒せり。

匈奴の単于(ぜんう。「皇帝」の意なり)は、西域のライバルであった月支国の王の頭蓋骨を国宝として保存しており、漢の皇帝からの使者が来て、重大な同盟を行うときにだけ取り出して、誓いの酒を酌み交わしあったのである。

この風習を知った漢人は「かっこいい」と思いまして、自分たちの世界にも取り込んだ。後漢帝国は、前漢を簒奪した王莽の首をとって、その頭蓋骨を酒杯にし、国宝として保存したのである。戦国の末から漢のころまで、中原の文明は、西域の遊牧帝国の文化にあこがれて乗馬の風習、筒袖やズボンの着用など、多くの風習を受け入れました。その一環として「頭蓋骨の杯」も作ったのでしょう。

そのことには

自有深意。

自ずから深意あらん。

おのずと(時代精神というような)深い意義があったのである。

ただし、

以孔子之履与莽頭同蔵、則汚聖矣。

孔子の履を以て莽の頭と同蔵す、聖を汚せるなり。

聖人・孔子さまのおくつを王莽の頭蓋骨などと一緒にしまってあったとは、聖人を汚すものである。

けしからんことである。

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明・于慎行「穀山筆麈」巻十五より。

そうですか。まあ、とにかく失火に御注意ください。

 

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