平成22年4月29日(木)  目次へ  前回に戻る

「珍しいことでは無いでわん」

乙酉の年(康煕44年、1705)の五月(陰暦です)、わたしはお役目で黄河の流域がどうなっているか観察するために山東・盱眙県に出張したことがあった。

黄河のほとりに設けられた県の宿舎に泊り込んでいると、

数日大雨如注。

数日大雨して注ぐが如し。

数日間、大いに雨が注ぐように降った。

その日はやや晴れてきたので、県の船に乗って亀山とよばれる小島に設けられた廟を見物に行くことにした。

この廟は半ば水中にある。

超古代の聖王・禹が、その将軍の庚辰に命じて、巨大な水怪・無支祁(むしき)を鎖でこの島に縛り付けた。爾来、無支祁はこの亀山島の水中に繋がれており、この廟は水怪の怒りをなだめるための祭壇なのである―――ということであった。(無支祁につきましては諸星大二郎大先生「西遊妖猿伝」を参照のこと。竜児女さま!)

さて。

お詣りを終えて船で戻る途中のことだった。

風雨大作、雨点大如茶盂。

風雨大いに作こり、雨点の大なること茶盂の如し。

風と雨がたいへん激しく降り始めたのである。雨粒の大きさは茶碗ほどもあった。

「これはこれは・・・」

船中であまりの荒れ方に驚いていたとき、

「あ、あれを!」

と、お供の者が指差すので空を見上げた。

「お、おお!」

見四龍掛空中。最近者可一箭及之。

四龍の空中に掛かるを見る。最も近きものは一箭これに及ぶべし。

四匹の龍が空中におったのだ。最も近いところにいる一匹は、矢を放てば届くほどの距離であった。

不思議というべきか否か、どの龍も、頭は激しい雨に隠れて見えない。

とにかく龍のいるあたりの水流が激しく、

倒流上天、如旱地之大旋風、声勢倶悪。

倒(さかし)まに流れて天に上り、旱地の大旋風の如く、声勢ともに悪し。

空に向かって昇って行っているのだ。乾燥地帯の竜巻のようで、音も雰囲気も不気味である。

それでも、数十分ほどもすると、この風雨もようやく収まりはじめた。

さらにしばらくすると雨も止み、龍もその姿を雲の向こうに隠してしまったが、

猶若有余波自上而下者。

なお余波の上より下るものあるがごとし。

なお、何かが空から降りてきているかのように余波が続いていた。

地元のひと(「土人」)が言うことには、

年年有之、無足怪。

年々これ有り、怪しむに足る無し。

「毎年起こることですじゃ、怪しむことはござりませぬ。」

と。

この近くの山東・新城の出身者である王漁洋「紀異行」(不思議なことを記録するのうた)の注によると、

龍見、如皐境内挟巨艦飛空中。

龍の見(あら)わる、皐の境内において巨艦の空中に飛ぶを挟むが如し。

皐州において現われた龍は、空中に飛ぶ巨大な船を二匹ではさんでいるような姿であった。

というのである。

さすれば、

龍見亦尋常事也。

龍の見わるるもまた尋常の事なり。

龍が出現するのは、大して珍しいことではないらしい。

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なんだ、珍しいことではなかったのですね。はじめて龍を見たらびっくりすると思うのですが、あまり珍しいことではないらしいので安心してください。それにしても近年滅多に見れないのは環境破壊のせいであろうか。(王漁洋のいう巨艦を挟む龍、というイメージはある種のUFOの報告と似ているような気が・・・いや、この話は止めておこう・・・)

清の在園先生・劉廷璣「在園雑志」巻四より。ちなみに漁洋山人・王阮亭は康煕五十年(1711)に数え七十八歳で亡くなっていますので、康煕五十四年(1715)までは在世が確認されている劉廷璣から見て少しだけ先輩のほぼ同時代人になります。

 

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