「おそろしいことです」
GW的になってきましたので、旅に出ましょう。
今日は西域に行ってみますよ。
唐の時代、西域の天山北路をとりますと、高昌国までは唐の勢威が及んでおりましたが、ここを出ると阿耆尼国(エンギ)、さらに行けば屈支国(クチャ)である。屈支国とその向こうの跋禄伽国(バロッカ)の間、草原の中の河を一つ渡ったところに巨大な仏寺が建っていたという。
この寺はアジャリニ寺(唐の言葉では「奇特寺」という意味になります)といい、ここには西域でも高名な僧侶が集まり、多くの若い俊才たちを教えていたのだそうでございます。
そこで、この寺院の建てられたる謂れを調べてみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
むかしむかし―――
この国の王様は仏法僧の三宝への帰依も深く、あるとき南方の仏跡を巡礼したいと思い、仲の良い王弟を呼んで、自分のいない間、自分に代わって国政を取り仕切ってくれるように頼んだ。
王弟は断ったが、兄王の強い信仰の心を思い、ついに引き受けることとしたのだそうでございます。
兄王が出発するに当って、王弟は
封之金函、持以上王。
これを金函に封じ、持して以て王に上(たてまつ)る。
何物かを入れて封印した黄金の箱を持ってきて、王に差し出した。
王さまが「これは何か」と問うと、王弟、
「わたくしめの大切なものでございます。わたくしの分身としてどうぞ御仏のみ跡を訪ねる巡礼の旅にお持ちいただき、お戻りになったときにお開きください」
と申し上げたのであった。
・・・王はヒンドスタンの仏の遺跡を巡り、一年の後に戻ってまいりました。
この間、王弟は国の中をきちんと治め、国外からは侮りを受けることなく、王さまがおられるときと変わらぬように取り仕切り、王さまがお帰りになると国政をきちんとお返ししたのでございます。
王さまは王弟さまの国政の取り仕切りが、自分の行ったと同じぐらいよく行われていたことにたいへん満足して、厚くこれに賜りものをしようと考えたのでございますが、そこへ王弟さまとは仲の悪い、従兄弟にあたる大臣がやってまいりまして、眉をひそめながら、
「どうぞ、王さま、ご不快になられぬようにお聴きくださいませ」
と申し上げたことを聞き、王さまはびっくりいたしました。
なんと、王弟は、王さまのいない間、国政は立派に行っていたのですが、
淫乱中宮。
中宮を淫乱せり。
「お妃さまをはじめ、後宮の方々をむりやりにご自分のものにされておったのでございます。」
そういうて大臣はさめざめと涙を流し、
「わたくしめは王さまがそのことを知らず、王弟さまの行為をお褒めになり、国民どもが王さまを嘲り笑っていることを思うたびに、悔しくて涙が止まらないのでございます」
と申し上げました。
王さま、大臣の肩を抱き、
「よう言うてくれた」
と感じ入りまして、大臣に褒美をとらせるとともに、王弟を呼び出し、厳刑を申し渡すことにしたのでございます。
王弟は王さまのお怒りの言葉を聞き、
「まことに王さまのお怒りはごもっともにございましょう。わたくしも王さまが国を出られる前から、王さまにその件でお叱りをいただくであろうと想像していたところでございます」
と言ったのである。
「なんと、おまえはわしが国を出る前からそのような考えでいたのか!」
王さまは憤怒抑えきれず、自ら剣を持ち出して王弟を切り刻もうとの構え。
ここで、王弟は言うた。
願開金函。
願わくば金函を開かんことを。
「どうぞ、今こそ、お預けしてあった黄金の箱をお開きください。」
王さま、怒りにながらも黄金の箱を開けてみると・・・・・・・・・・・
げげ。
変なものが出てきたのであった。
それは
割勢(切り取られた男性器)
でありました。
王さま、問うて曰く、
「こ、これは・・・なんじゃ?」
王弟答えて曰く、
「昨年、王さまから国政を委ねられたときから、おそらくはお戻りになったあと讒言をなすものがあろうと思い、
割勢自明。
勢を割っして自ら明らかにす。
ちんぽこを切り取って、自分がそのようなことをしないことが明白であるようにしたのでございます。
今果有徴、願垂照覧。
いま、果たして徴あり、願わくば照覧を垂れんことを。
ただいま、ようやくその証拠を示すことができました。どうぞ、明らかな心でご覧くださいませい。」
ああ、なんということでしょうか。
王さまは王弟のちんぽこをご覧になり、涙を流して、その聡明と自己犠牲の心をお褒めになり、厚い褒美を賜るとともに、讒言をした大臣を八つに切り刻んで殺してしまいました。
さて。
その後、王弟は後宮にも自由に入って王と語り合える権限を与えられ、二人は仲良く国を治めていたのですが、一年ばかりすると王弟は王の後宮に入ってこなくなった。
王さまはどうしたことかと思い王弟に問いただしてみました。すると、王弟さまが「実は」と申し上げたことには
「先だって、
遇一夫、擁五百牛、欲事刑腐。
一夫の五百牛を擁して刑腐を事とせんとするに遇う。
あるひとが、五百頭の牛を去勢しようとしているところに出くわしたのでございます。
わたくしは、この牛たちもわたしのようにちんぽこを失うのかと思うとかわいそうになり、これも仏さまの説かれた道にかなうことであろうと思いまして、王さまから賜りました財宝の一部を使ってこの牛たちを買い取り、去勢されないようにしてやったのです。
そうしたら、なんと・・・
以慈善力、男形漸具。
慈善力を以て男形漸くに具われり。
その慈善の行為の因縁力でございましょう、ちんぽこがだんだんと形作られてきたのでございます。
このため、後宮には入らないようにしておりました。完全に戻ったところで王さまにご報告しようと思っていたところなのでございます。」
「なんと、そうであったか。仏さまのお力よのう」
王さまはその話を聴き、仏の説かれた道の尊さ、奇特さに感じ入って、
遂建伽藍、式旌美迹、伝芳後葉。
遂に伽藍を建て、旌を式し迹を美とし、芳を後葉に伝う。
ついに寺院を建設し、はた指物を作って王弟さまの行為と仏さまのお力を表彰し、その芳しい評判を後の世に伝わるようにしたのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――――というのが、この寺院の造られた謂れでございました。
――――というのは、わたくしがにやにやしながら創作したのではございません。
名高い唐の玄奘三蔵法師が西域取経の旅の見聞を後述し、僧・弁機が書き取った「大唐西域記」の巻一に書いてあったことなのでございます。
では、玄奘法師がにやにやしながら口述したかというに、この書は秘書著作左郎・敬播さまの序と、尚書左僕射燕国公・張説さまの叙を得て、国家への報告書として作られたものでございます(←史実の三蔵法師は「唐帝国の放ったスパイ」だったのではないかともいわれます)から、「にやにや」というわけにはいきません。すごい深刻な顔をして口述して、弁機も深刻な顔をして書き留め、張説をはじめ時の高官たちが厳粛そうな顔をして読んで、
「ふむ。なるほどのう、この寺院の謂れはちんぽこなのじゃのう」
とメモをとったりしていたのだろうと思われるのでございます。