癸巳年(1653)は大清帝国の年号でいえば順治十年に当たる。
もとは四川の方の出であるという黄雪芳というひと、儒者であったが中年を過ぎても職無く家族無く、しかも明帝国は滅んでしまって将来の在りようを見出せない状態。浙江・華亭の横雲蕭寺の寺域の隅に部屋を借りて仮住まいさせてもらい、童子に文字を教えたり無学な人民たちの代筆をしたりして生計を立てていた。
ある日の暮れ方、ひとり行く末を不安に思いながら林間を歩いていると、道端の石にひとりの老人が座って、自分の方に拱手の挨拶をしているのが目に入った。
軽く会釈すると、老人は手招きして傍らの石に座れと指し示す。特に急ぐ用も無かったから、黄は示されるままにそこに座り、しばらく老人と言葉を交わしたが、老人はたいへん学識深く、過去の歴史や現在の社会に関して黄自身の思っていたこと、気づきもしなかったことなどにつき、有益な会話ができた。
ややあって老人言うに、
聞君善詩。僕偶得一絶、願奉聞、可乎。
聞く、君詩を善くす、と。僕たまたま一絶を得て聞に奉ぜんことを願う、可ならんか。
「そういえばあんたは詩に精しいそうじゃな。わしはちょうど絶句を一つ作ったので聞いてもらいたいのじゃが、よろしいかな。」
名前も名乗っていないのに何故そんなことを知っているのか。黄は疑問に思ったが、彼が口を開こうとする前に、もう老人は吟じはじめていた。
なかなか物悲しい調べの歌である。
山花不復春、 山花は春に復(かえ)らず、
澗霧滴如雨。 澗霧は滴りて雨の如し。
寂寞青松根、 寂寞たり 青松の根、
烏啼墓門樹。 烏は啼く 墓門の樹。
春になってもこの山に、花は二度と開かない。
霧深い谷の奥、したたる雫は雨のよう。
松の根もとに独り寝の 夜はまことに寂しくて
墓標の上でなぐさめの 歌を歌うは―――黒いカラスだ。
黄は目を閉じて聞いていた。
「春になっても花は咲かない・・・? 松の根もとの独り寝の床・・・?」
気になって呟く。
何乃似鬼語耶。
何ぞすなわち鬼語に似たるや。
「ご老人、それはまるで死者のうたのようですな・・・」
そこではっと目を開いて老人を探したが、
回顧忽不見。
回顧すれども忽ちに見えず。
あたりを見回してみても、老人の姿はどこにも無かった。
「なんということじゃ・・・」
黄は、
悵然而返。
悵然(ちょうぜん)として返る。
悲しい気持ちになって仮住まいの部屋に帰ってきたのであった。
彼はしばらく塾の講師も休んで部屋で考えこむふうであったが、やがて荷物をまとめて郷里に帰って行ったという。
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「だから何だ?」と言いたいでしょうが、こう書いてあるのだからしようがない。
清・董含「三岡識略」巻二再補遺より。(こちらも読んでみよう→22.8.20)