平成22年8月20日(金)  目次へ  前回に戻る

明の時代のことでございます。

ア)呉(江蘇)のひと・竹渓翁という老人は、山中に隠退して読書三昧の日々を送っていた。

わたしはある秋の日、翁の家に泊めてもらったのであるが、夜深く、その家の門扉を叩く者がある。

「お客様ですかな」

と竹渓翁に問うと、翁曰く、

「こんな山中に夜中に予告も無く来る客じゃ、おそらく鬼(幽霊か精霊)じゃろう。放っておけばよい」

と相手にもしない。

やがて、門扉を叩く音が止み、たいへんか細い声で、

墓頭古樹号秋風、  墓頭の古樹 秋風に号(さけ)び、

墓底幽人万慮空。  墓底の幽人 万慮空し。

独有詩魂消不得、  ひとり詩魂の消し得ざるありて、

夜深来訪竹渓翁。  夜深く来たりて竹渓翁を訪(おとな)うなり。

墓のほとりの古い木は秋風が吹くたびに叫び声をあげる(ように鳴る)。

墓穴の底に眠るかくれびとは、心に何一つ浮ぶことがない(←死んでいるんですからな)。

ただ、詩人のたましいが消え去らないのだ。

だから、この夜更けに竹渓翁よ、あなたの家の扉を叩いたのだ。(詩について語り合おうと思って・・・)

と聞こえた後、静かになった。

「あわわ、ほ、ほんものだったみたいですよ」

「そうじゃろうと言うておるではないか」

と翁は自若たるものであった。

翁の考えでは、放っておいてタタリを為すほどの力のある幽霊であれば、門扉など通り抜けるなりこじ開けるなりして入ってきているであろうから、それもできないようなのは放っておけ、ということなのである。

これは幽霊が詩を作った珍しい事例なので記録しておく。

イ)詩を愛する僧侶、詩を作りかけた。

庭前両株松、  庭前の両株の松、

風吹一株折。  風吹きて一株折る。

庭さきの二本の松よ、大風吹いて一本折れた。

そこまで作ったところで続きが作れず、悩んでいるうちに不幸にも死んでしまった。

その後、その庵では

凄風寒月、常有鬼吟此二句。

凄風寒月には、常に鬼のこの二句を吟ずるあり。

風のすさまじい夜、月の白々と寒い晩には、いつも霊魂がこの二句をかそけく吟じるのが聞こえるのだ。

多くのひとは気味悪がったが、とある風雅なひと、そのことを知らずにさびしい夜にこの庵に泊まり、その吟を聞いて、

「それではこうなりましょうねえ・・・」

と続きを作ってやった。

朝減半庭陰、  朝には半庭の陰を減じ、

夜滅半庭月。  夜には半庭の月を滅す。

昼間にはこれまで庭一杯にあった木陰が半分になってしまって残念じゃが、

夜半にはこれまで葉陰でまったく見えなかった月が、庭半分で見えないだけになってうれしいな。

これで納得したのであろうか、以後、

鬼遂滅。

鬼ついに滅す。

幽霊はもう出なくなった。

こちらは幽霊になってからは詩の続きを作ることができなかったので他人に作ってもらった事例である。

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「列朝詩集小伝」閏集より。参考→22.3.18

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さて。

おもしろきこともなき世をおもしろく

というある人の辞世の発句があります。上のイ)の事例を見ると、これにきちんとした付け句をつけてあげないと、このひとが安らかに眠れないものと思われます。

すみなすものはこころなりけり

と付けてみたひとがいましたが、大失敗だったのでしょう、今もこの国には憂国の心が遺されたままになっております。

どう続ければ鬼はついに滅し、回天売国の大業は成就するのであろうか。

・・・しようとしたけどここまででした

・・・笑い暮らしていつか落ちぶれ

・・・すみなすものはお金なりけり

・・・するのはなかなか難しいよね

などと考えてみたが、ほんとに回天売国の大業が成就してしまったりするといけないので黙っていることにします。(最後のが実はかなりイケてる気がしますが)

 

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