松山の町。
清初めのひと、心斎先生・張潮、字・山来のことば。
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康煕年間のはじめごろ、わしは安徽・歙県に引っ込んで、書斎である「心斎」の中で隠者のように暮らしておりました。
心斎の回りは松の木だらけ。
その中で、わたしは
以松花為粮、以松実為香、以松枝為麈尾、以松陰為歩障、以松濤為鼓吹。
松花を以て粮と為し、松実を以て香と為し、松枝を以て麈尾と為し、松陰を以て歩障と為し、松濤を以て鼓吹と為す。
松の花を主食にして暮らし、松の実をお香にして焚き、松の枝を麈尾(しゅび)にして塵を払い、松の木陰を塀にしてその中を歩き、風に鳴る松の葉音を音楽と聴く。
「麈」(シュ)は大きな鹿で、鹿の群れのリーダーになる。ほかの鹿どもは「麈」の尾を見て、自分たちの進む方向を決める・・・という伝説のドウブツ「麈」の尻尾のような大きな房のついた如意のことを「麈尾」といい、隠者の持ち物である。「歩障」は高位のひと(皇帝など)が移動などするときに回りのひとに見られないようにするためにめぐらす塀のこと。
山居得青松百余章、真乃受用不尽。
山居に青松百余章を得る、まことにすなわち受用尽きず。
山の中の我が家の周りに青い松が百余本あり。利用しても利用してももう利用できない、ということがない。
「これこれ、心斎よ、元気でやっておるか」
と、そこへ三人組がやってきまして、わしのことばを聞いて意見を述べた。
施愚山が曰く、
君独不記曾有松多大蟻之恨耶。
君、ひとり記さずや、かつて松には大蟻多きの恨みあることを。
おいおい、おまえさんは自分だけ忘れてしまいましたのかな。いつも、松には大きなアリがいてイヤだなあ、と言いあってたではないか。
「アリに襲われるかも知れんぞ」
江含徴が曰く、
松多大蟻、不妨便為蟻王。
松に大蟻多きは、すなわち蟻王たるを妨げず。
松には大きなアリが多いからのう。おまえさんはアリの王になってしまってもいいのだぞ。
「唐代伝奇の「南柯記」では、主人公はアリの世界の公爵にまで出世するのであったからなあ・・・」
石天外が曰く、
坐喬松下、如在水晶宮中、見万頃波濤、総在頭上。真仙境也。
喬松の下に坐するは、水晶宮中にあるが如く、万頃の波濤、すべて頭上にあるを見る。真の仙境なり。
たけ高い松の木々の下にすわっていると、水底にあるという伝説の水晶宮の中にいるようなものではないか。何万という波のうねりが、すべて頭上に見えるのだから(松の枝が風に揺れるのを波に喩えているのである)。本当の仙人の世界だなあ。
わしは心爽やかで機嫌がよかったので、何を言われてもにこにこしておりました。
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「幽夢影」第115則及び同条「評語」より。
松は役に立ちますなあ。
明・東璧先生・李時珍「本草綱目」によれば、
・松脂(別名:松膏・松香・瀝青)
・松節(松の枝の曲り目にある瘤のことではないかと思われます)
・松詣(松の枝を焼いたときに出る液である)
・松葉
・松花
・根の白皮
・松実
・艾納(松に生える苔)
・松蕈(松に生えるキノコ)
がそれぞれ薬用に利用できるそうで、松の木はまことに受用尽きることないが、なかなか松を吹く風や松の下の水晶宮の効験までは挙げられておりません。
宋・王安石によりますと、
松柏為百木之長、松猶公也、柏猶伯也。
松・柏は百木の長たり、松は公のごときなり、柏は伯のごときなり。
松・柏は百木の指導層である。松はひとの世の「公爵」にあたり、柏は「伯爵」に当たるのである。
ということにされております(「字説」)。
これはウソです。
から信用してはいけませんが、「松」という木の深い精神性について、このひとが何かしらの思いを抱いていたのはそこはかと感じられますね。