「怪しからんやつじゃにゃあ」
「今日は素面じゃぞ」
と、にやにや言うのは枝山先生・祝允明であった。・・・とはいうものの、少し聞こし召しておられるようで、ちょっとお酒の匂いがする。
「やや、先生、ご機嫌うるわしうございますな」
わしはこの間喧嘩別れしたのでちょっと下手に出てみたが、先生の方はあまり気にしていない、といいますか、覚えていないようだ。
「今日は「いい話」を教えてやろうと思ってやって来たのじゃ」
「はあ、どんなお話でございましょうか」
先生が六本指ゆらゆらと教えてくれたのは以下のごとし。
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明・弘治年間(1488〜1505)のことである。
山西の某地には山の麓に岩の割れ目から湧く泉があって、そのあたりの村人はこの泉から水を汲んで暮らしていた。
あるとき、ここを
有回回入貢。
回回の入貢するあり。
とあるムスリムが北京に朝貢貿易に行く途中に通りかかった。
「回回」(かいかい、フイフイ)はもと回族(ウイグル)のことであるが、回族がイスラームを信仰することから、イスラーム教徒(ムスリム)一般を指す。
このムスリム、この山下の泉の地象を観ると、
「おおーーー!」
と感極まったような声を上げ、通訳を通じて村人たちに
「この泉を買い取りたいでーす」
と告げた。
村人たちは冗談であろうと思って、
須十金。
十金を須(もち)いん。
金貨十枚は必要じゃなあ。
と笑いながら答えると、そのムスリムはすぐに懐から金貨十枚を出して村人たちに手渡そうとした。
村人たちにとっては生活用水である。
戯耳。
戯るのみ。
ふざけただけじゃ。
と売買を断ったが、ムスリムの方は「おお、ダメでーす、もう契約しましたー」と言って頑として聞かない。
とうとうこの争いが県庁に持ち上げられ、県庁ではお互いの言分を聞いた上で、村人たちが新しい井戸を掘る代金を試算し、
五十金(金貨五十枚)
と引き換えに泉の利用権を譲るべし、と判示した。
ムスリムは
「おお、大丈夫でーす。お安いカイモノ」
即座に荷物の中から五十枚の金貨を取り出して、村人たちの前に積み上げたのであった。
それから、人夫を雇い、
鑿山入穴、得泉源。
山を鑿(うが)ちて穴に入り、泉源を得たり。
泉の後ろの山の岩に穴をうがち、泉の湧き出るもとまで掘り進んだ。
そこには
天生一石、池水従中出。即舁之去。
天の一石を生じ、池水中より出づ。即ちこれを舁(かつ)ぎて去る。
大自然が一つの一抱えほどある石を生み出していた。そして、水はこの石の中から湧き出していたのだ。ムスリムは人夫たちにこの石を担ぎ出させ、それを荷造りすると(朝貢貿易もせずに)帰国して行った。
あるひと、追いかけてムスリムに問う、
「この石は何ぞや」
ムスリム答えて曰く、
此水宝也。
これ水宝なり。
これは「水宝」という珍宝にござりまーす。
凡汲者竭而復盈、雖三軍万衆城邑国都、只用以汲終無竭時。
およそ汲むに、竭(つ)きてまた盈(み)ち、三軍・万衆・城邑・国都といえども、ただ用うれば以て汲むも終(つ)いに竭くる時無し。
これから湧き出る水は汲みとって空っぽになったと見えてもまた湧き出で、三個軍団、一万人の群集、まちや村、国都のひとびとがみんなして汲んだとしても、この石を用いれば水の尽きるときはないのでござりまーす。
と。
それは確かに沙漠の西の国ではたいへんな宝物であったであろう。
一方、山西の村では、井戸を掘っても金貨は余り、その年の秋にかけて、村堂や橋の修復も行って、村人たちはたいへん喜んだということである。
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以上、「祝枝山語怪」(「元明事類鈔」巻二所収)より。
「先生・・・、この話がどのように「いい話」なのでしょうか・・・」
どうせ期待はしていなかったのですが、やはりこんな程度の話か、と今更ながらがっかりしまして訊ねると、
「回回も村人も得をした。県庁の役人もよい裁きごとをして名を高めた。「いい話」でなくて何であろうか」
とうそぶいて、さらにわしの方をぎろりと見つめ、
「おぬしもこの世に「水宝」という珍宝のあることを知って、役に立つ知識が一つ増えたではないか」
とおっしゃったので、
「は、はあ・・・、そうですなあ・・・ぎぎぎ」
と、わしは力なく薄笑いを浮かべながら頷いたものであった。