五代十国の時代。
建康の街中の飲み屋でわしがちびちびとやっていると、ちょうど演奏の手を休めていた楽士の一人が側に寄ってきた。
見知らぬ楽士である。
わしは知らないひとと会話するのはダメなので、じっと黙っていたが、やがて彼はわしに向かって、
「あれ? あなたとはこの間どこかでお会いしませんでしたっけ」
と声をかけてきたのである。
わしには記憶が無い。
「はて、どこでお会いしましたかな?」
と訊いてやると、楽士が言いますには、・・・・・・・・
・・・・・・・確か一月ほど前のことでした。
あの日は夜の宴席の仕事があったので、夕暮れ方に宴会場のある盛り場の方に向かって歩いていたのです。すると、突然、
見二僕夫云陸判官召。
二僕夫の「陸判官召せり」と云うを見る。
二人の下働き風の男がわたしを見つけて、「陸判官がお呼びなのだぞ」と言ったのです。
はて、その日の宴は陸判官の席だったろうか? そもそも陸判官とはどんなひとだ?
と疑問もあったのですが、なんだかその日は回りが薄ぼんやりしていて、何となく問いただす必要もあるまいという気分になり、わたしはその二人の後に従って歩き始めたのです。
しばらく行きますと、大きな邸宅がありました。
二人はその門を潜って中に入って行く。わたしもその後についていった。
中に入ると、賓客十人余りを集めて既に立派な宴会が始まっている。わたしはどこかに楽隊の控え場所があるのだろうと思ったのですが、どこにも見知った顔はいない。それに、その宴は、お客はいるのですがどこにも主人らしきひとはおらず、誰も「音楽を鳴らせ」といった命令をする者もないのです。
ただ、居並んでいる賓客たちは、
皆善酒。
みな酒を善くす。
みな、酒好きの上戸らしい。
手元にある酒をぐいぐいと飲んでいく。誰かが酌に来るわけでもなく、またお互いで注ぎあうでもなく、歓談するでもなく、ただただひとりひとり、うれしそうに酒を飲んでいる。
手元の酒が無くなると、そのときだけ、すす、と黒い影のような侍者が現われて、その賓客たちの前に酒瓶を置いて行くのです。そして、
惟飲酒而不設食。
ただ酒を飲むのみにして食を設けず。
ただ酒を飲んでいるだけで、食べものはまったく用意されていないのでした。
「おかしな宴席だな」
と思っていましたが、
酒亦不及楽人。
酒また楽人に及ばず。
酒がわたしのところにまで回ってくるわけでもない。
手持ち無沙汰でした。一方で酒も食も無いので、ようやく空腹を感じてきたころ、夜が明け始めた。
―――夜が明けて、気がついてみると、
乃在草間。
すなわち草間にあり。
草むらの中で目を覚ましたのであった。
傍有大塚。
傍らに大塚あり。
見回してみると、あたりには大きな古い墳墓があった。
・・・・・・・・・・ということなのでございます。
楽士は話し終えて、わしが酌いださかずきに口をつけた。わしは楽士に何か言わねばならぬことがあるような気がしたのだが、その前に、
「ああ、その古い墳墓のことは知っておるぞ。市場通りから城門を出たところにあるやつじゃろう」
と、いつの間に話に入ってきていたのか、隣りの席の老人が口をはさんだ。
相伝陸判官之塚、不知何時人也。
相伝えて陸判官の塚というも、知らずいずれの時のひとなるかを。
「昔から陸判官というひとのお墓だといわれているやつじゃ。しかし、陸判官というひとが何時のころのどんなひとなのかは誰も知らん」
そして、老人は楽士に向かって言うに、
「おまえさんは、よかったのう」
と。
「は? どういうことですか」
「あの陸判官の塚の側ではよくそういう不思議な宴が開かれるのじゃが、そこで飲み食いした者は近いうちにあの世行きだ、といわれているのじゃ。おまえさんは呼ばれたが飲み食いはしなかったというのだから、心配は無い」
「ああ、そうだったんですか」
楽士は安堵したようににこやかに答え、老人もにこにこしながら楽士に一杯酌いでやった。
「それはよかったのう」
わしはようやく会話に加わり、楽士に言うた。
「それで、おまえさんは、わしを何処で見かけたのじゃ?」
楽士答えて曰く、
「え? ああ、そうでした。あなたはあのときうれしそうに酒を飲んでいた賓客たちのお一人にそっくりなのですが・・・」。
聞いて、酒がまずくなったのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
徐鼎臣「稽神録」巻二より。
明日知れぬ我が身と知れど暮れぬ間の今日はひとこそ悲しかりけれ。つらゆき。
小林繁さんが亡くなったのにはびっくりですが、淺川マキさんが亡くなった報道には驚きました。ちょっと気持ちワルい。昨日、わたくし、彼女のアルバム(CD)を中古レコード屋で買ってきて車の中で聴いていたのだが、それがちょうど死亡推定時刻であるらしい・・・。