・・・昨日の続きでございます。「韓詩外伝」巻八第二十五章より。
孔子は目の玉ぎらぎらとさせて、弟子たちに言うた、
参来勿内也。
参来たれども内(い)るること勿れ。
曾参が来ても、家の中に入れてはいかんぞ。
と。
弟子たちは「はい」と答え、実際に曾参がやってきても、門の中に入れてくれなかった。
そこで曾参は、
「わたしに一体どのような罪があるのでございましょうか。どうかお教えください」
とひとを立てて孔子に赦しを乞うたのであった。
孔子曰く、
「おまえはいにしえの聖人・舜のことを聴いたことがないのか」
「ああ、どのようなことでございましょうか」
「舜はその父が頑迷で、ママ母が残酷であったので、父母によって虐待を受けた。そのとき、
小箠則待、大杖則逃。
小箠(しょうすい)すなわち待てども、大杖はすなわち逃る。
親が彼を打とうとして、小さな、しなるムチを持ち出してきたときは打たれるままにし、大きな、堅い木の杖を持ち出してきたときには逃げ出した。
のである」
両親の教えは守らねばならない。自分に落ち度があるかどうかは抜きにして、両親が自分をムチ打とうとするときはムチ打たれねばならない。これが基本である。
しかし、それで打たれれば傷つき、ついには死んでしまうかと思われるようなでかい杖で殴られそうになったら、逃げ出すのが道徳なのである。一つには親に殺人の罪を犯させてはならないし、二つには、自分が死んでしまい子供がいなくなることで、両親を養い、死後にはその法事を行うべき子孫を絶えさせてしまうことになるので、そんなことにさせてもいけない。
さらに三つ目の理由もある。
今汝委身以待暴怒、拱立不去。汝非王者之民邪。殺王者之民、其罪如何。
今、汝は身を委ねて以て暴怒を待ち、拱立して去らず。汝、王者の民にあらざるか。王者の民を殺す、その罪如何ぞ。
「おまえは、この間、体を両親の爆発的な怒りにさらし、手を拱いて礼をしながら突っ立って、打たれるままにしていたとのこと。おまえは、「王者の民」ではないのか。もしおまえが死んでしまったら、(おまえも「王者の民」であるから)「王者の民」を死なせてしまうことになるのだぞ。なんという罪深いことであろうか!」
「ああ、わたしは何と罪深いことだったのでございましょうか!」
曾参は師の怒りの前に面を上げることできず、赦しを乞い続けたとのことである。
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おまえたちにも、このことから、
優哉柔哉、亦是戻矣。
優なるかな、柔なるかな、またこれ戻(さだ)まれるかな。
ゆったりして、おだやかで、ほんとに安らかだなあ。
という語句の意味がわかったであろう。
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以上が韓嬰先生のお話でした。(「孔子家語」にもほぼ同じお話があるそうです。)
もちろんわれわれは語句の意味などわからないのですが、「わかりませーん」というとまたうるさいので、
唯唯。(いい)。
はい、はい。
とお答えしておいたのであった。
ちなみにこの語句を含む小雅・采菽の一連は、現行の(毛派(←こう書くだけで何だかコワい)が伝えた)「詩経」によれば、
汎汎楊舟、紼纚維之。
楽只君子、天子葵之。
楽只君子、福禄比(※)之。
優哉游哉、亦是戻矣。
※の「比」とした字はかなり違う字で、かなり簡単にいいますと「脳+比」みたいな字で、「ヒ」と読み、「厚」と同じ意。
汎汎(はんはん)たる楊舟、紼纚(ふつり)これを維(つな)げり。
楽しきかな君子、天子これを葵(はか)る。
楽しきかな君子、福禄これを厚うす。
優なるかな、游なるかな、またこれ戻(さだ)まれるかな。
訳してみます。「紼」は麻繊維の大縄、「纚」は竹繊維の大縄だそうですから、
ゆらゆらと浮んでいるのは楊の木で作られた小船ですが、
麻の縄、竹の縄で岸辺につながれております。
楽しいことだ、よきひとたちについては、天子さまがその才能をお度りくださる。
楽しいことだ、よきひとたちについては、天子さまがそのしあわせやいただきものを多くしてくださる。
(上述の小舟のように、気楽でしあわせな情況にあるのだ。)
ゆったりして、自由で、ほんとうに安らかだなあ。
これが「王者の民」のしあわせな生活である。「王者の民」というのはこのように大切にされる(べき)ものなのであり、この世に「王道」の布かれる時代が来れば、(曾参を含め)人民はみなこのようにしあわせになれるのだから、われわれはそれに向かって努力せねばならん。
というようなことを韓嬰先生は言いたかったのでしょう。
お笑いでしょう・・・かね?
ちなみにお気づきかと思いますが、「毛詩」では該当部分は
優哉游哉、亦是戻矣。
となっており、「韓詩外伝」の
優哉柔哉、亦是戻哉。
とは「柔」の字が「游」の字に入れ替わっておりまして、毛派と韓派で伝習したテキストが違ったことがわかりますね。