「これ、どうじゃ、わしのところで飲むか」
と誘われたので、飲みに行った。
わたしは酒量がいかないが、飲んでしまうタイプ。
ちょっと飲んで真っ赤になってキモチよくなった。
「もっと飲め」
というのを
「もう要らん。ひひひひ」
と断ると、主人は、
「もう要らんのか、ぎゃはははは」
と高笑いし、詩を吟じて曰く、
道喪向千載、 道は喪なわれて千載に向(なんなん)とし、
人人惜其情。 人人その情を惜しむ。
大いなる道が世界から失われて、だいたい千年ぐらいになろうとしている。
ニンゲンどもはみな、自分自身の本当の気持ちを表に出すことを忘れてしまったのだ。
そう言われて、
「へー、大いなる道が無くなって千年ぐらい・・・ということは、無くなったのは紀元1000年前後のことなのですか」
と聞いてみたら、
「ぎゃはははは、何言うとるんじゃ、おまえは一体いつのニンゲンか? わしは生没年が365〜427だから、紀元前六世紀の終わりごろ、の春秋の時代のことを言うとるんじゃ」
とおっしゃった。
有酒不肯飲、 酒あるもあえて飲まず、
但顧世間名。 ただ世間の名を顧る。
所以貴我身、 我が身を貴ぶ所以のものは
豈不在一生。 あに一生にあらざらんや。
ニンゲンどもは、酒があっても飲んで己れをさらけだすこともせず、
世間さまの評価を気にして過しているのである。
自分が大切なのは、
生きているからではないのかね。
「ああなるほど」
主人続けていう、
一生復能幾。 一生またよく幾ばくぞ。
倐如流電驚。 倐(しゅく)として流電の驚かすが如し。
この人生といいましても、いったいどれほどの長さがあるものでございましょうや。
すみやかなること、いなずまの走り流れてひとをびっくりさせる、あの一瞬とどれほど違おうか。
主人はさらに開き直って、
鼎鼎百年内、 鼎鼎(ていてい)たり百年のうち、
持此欲何成。 これを持して何をか成さんと欲する。
ぐずぐずと思い悩んでいくら長くても百年しかない人生を費やしてしまうのだ、
こんなもの(世間さまの中での評判など)を後生大事に持ち続けて、いったい何になるというのだ。
と言いまして、
「ぎゃははははは」
と高笑いしながら、酔いつぶれて眠ってしまった。
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これは陶淵明の「飲酒」十八首より第三首。
(みなさんの好きな陶淵明さん。なぜなら有名人だから・・・)