「池北偶談」巻二十三より。ひっひっひ・・・。
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清の初め、順治年間に安邑県知事・鹿尽心なるひとがあった。中年になって手足にしびれを感じる病に冒され、治療法無く苦しんでいたが、そのときとある道士が現われた。彼は弟子と称する道士たちを何人か引き連れ、自ら大道士・劉海蟾と名乗って
「治療については、どうぞわたしどもにお任せくだされ」
と言上した。・・・まことに名高い道士・劉海蟾ならば、このときでもう三世紀も生きていることになるのでございますが、果たして如何。
道士は、鹿知事に
「その病には一つだけ特効薬がございますが、知事さまがお使いになる気がおありかどうか・・・」
と言いよどんだ。
「な、なにが効くのじゃ? 頼む、教えてくれい」
と鹿知事は手を震えさせながら訊ねる。
「さよう・・・。
食小児脳、即癒。
小児の脳を食らわば、即ち癒えん。
小児の脳漿をお摂りなされば、すぐにでも治りましょう」
それを聞いた鹿は、
「そ、そうか、子供の、脳みそをのう・・・、て、手に入れる方法はあるのか?」
「無いことはございませぬが・・・」
「おお、子供をのう・・・かわいそうじゃがのう・・・」
「知事さまのためでございます。喜んで子供を奉る民もございましょう」
「そ、そうか・・・い、いや、そうじゃろうのう、わ、わしは善政を施して、き、きたからのう・・・」
とその道士の言うままに、
以重価購小児、撃殺食之。
重価を以て小児を購(あがな)い、撃殺してこれを食らう。
道士に高額の金を出して子供を買って来させ、その頭蓋を割って殺し、脳髄を食らうたのである。
知事は、子供が連れられてきて、泣き叫びながら叩き殺される一部始終、その手足が痙攣して、自分のそれと同じように震えるのをじっと見つめ、皿に盛られたその脳髄を、さっきまで悲しみ、救いを求め、絶望と激痛の中に失われて行ったであろう意識の主であったそれを、匙で掬うて食うたのである。
「如何ですかな、知事どの」
「お、おお、す、少し手のしびれが・・・癒えた気がしまするぞ、劉道士どの」
「されば・・・」
知事は高額の費用を出し、道士に言われるままに次々と子供を買った。そして、
所殺傷甚衆、而病不減。
殺傷するところ甚だ衆(おお)く、而して病減ぜず。
多くの子供たちを叩き殺し、その脳を食ろうたが、病気の方ははかばかしくなかった。
「こ、これほど小児の脳を食うてものう、な、治らぬのでは、わしはもう治らぬのか・・・」
「知事さま、お諦めになられてはなりませぬ。薬はこれで正しいはずなのですが、どうもこれまでは調剤の方法が悪かったようです」
道士は、
教以生食乃可癒。
生食を以てすればすなわち癒ゆべし、と教う。
「殺してしまってから食うていたので効果が少なかったのです。生きたままで食らえば、すぐにでもお治りになりましょう」
と教えたのであった。
次に買われてきた子供は、
生鑿小児脳、吸之。
小児脳を生鑿し、これを吸う。
生きて縛られたまま、その頭に鑿(ノミ)で穴を開けられ、そこから脳漿を吸われたのであった。
小児ははじめ激しく抵抗し、頭蓋に穴を開けられても泣き叫んでいるが、やがて目が左右に動き始め、泣き叫ぶ声が呻り声に変じ、体中激しく痙攣する。知事が脳漿を吸い尽くすころもまだ手足は動いていた。
「如何でございましょう」
「あ、ああ、ど、道士どの、効いている、よ、ようで、ご、ご、ご、ござる・・・」
知事公邸では、ほとんど毎日のようにその阿鼻叫喚の殺人が行われていたが、数ヶ月にして
病竟不癒而死。
病いついに癒えずして死す。
知事の病はついに癒えることなく、在職のまま亡くなった。
このこと、知事の死後になってようやく問題となりはじめた。
小児たちは道士の一味が買ってきたものもあったようだが、攫われてきたのも多くあって、被害の家が官に訴え出たのである。役所の調べは中央の大臣にまで届けられたが、さすがに知事の行動を公表するわけには行かず、道士だけを捕らえて裁いたのであった。
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ひっひっひっひっひ・・・、いかにもチュウゴクらしいお話ですなあ。
え? 今はこんなこと行われていないはず? ほんとに?