↑今日もムシムシと暑い日本の夏だ。アムール虎の黄虎老人は辟易しておられるぞ。
・・・なので、今日も日本のやつです。良寛和尚曰、
十字街頭一布袋、 十字街頭の一布袋、
放去拈来凡幾年。 放ち去り拈(ひね)り来たること凡そ幾年ぞ。
無限風流無人買、 無限の風流ひとの買う無く、
帰去来、 帰り去らん、
兜史天。 兜史天へ。
街の四辻に立って、布袋和尚のように乞食する。
(心を)好き放題にしてみたり、ひっつかまえて閉じ込めてみたり、いったい何年こんなことをやっているのか。
窮まりないわしの自由な心だが、誰かが買ってくださるわけでも無いですでのう、
そろそろ行かせてもらいますよ。
本来の郷里たる天上界、弥勒菩薩のおわします兜率天へ。
というのである。
「よう言うたぞ、良寛」
「よし、わしも新潟行って、そこからあちら側に行くか」
と思わせる詩ではないか。
ちなみに、布袋和尚は現代ニホン人には「七福神の一」という認識が強いと思われますが、本来はシナの唐末〜五代の実在の坊主である。
「伝灯録」巻二十七に曰く、
布袋和尚なる者は、自から名を称して契此(せっし)という。その姿は猥雑でぐにゃぐにゃ、額は狭くハラは出ていた。
出語無定、寝臥随所、常以杖荷一布嚢。
語を出だすに無定、寝臥するに随所、常に杖を以て一布嚢を荷う。
その言うことは何だかわからず、どこでも寝るし、どこにでもごろごろする。いつも一本の杖を担いでいて、それに布の袋を引っ掛けていた。
身の回りの道具はすべてこの布袋の中に入れていたのである。
彼には前知の能力があり、
示人吉凶、必応期無忒。
人に吉凶を示すに必ず期に応じて忒(たが)う無し。
ひとに未来のよき事・悪しき事を告げた。そのこと、予言された時期が来ると必ず当たり、間違うことは無かった。
梁の貞明三年(917)に至り、
於嶽林寺東廓下、端坐磐石、而説偈。
嶽林寺の東廓下にて、磐石に端坐して、偈を説く。
明州・奉化県の嶽林寺の東の建物の軒下で、平たい石にきちんと座って、教えを歌にして歌っていた。
曰く、
弥勒真弥勒、 弥勒、真弥勒、
分身千百億、 身を分かつこと千百億、
時時示時人、 時時に時人に示すも、
時人自不識。 時人自ら識らざるなり。
(未来に地上に現われるべく今は天上の兜率天におられるとされる)弥勒菩薩よ。本当の弥勒菩薩よ。
分身して千百億の姿をとり、
あらゆる時代にあらゆるひとの前に現われているのだが、
ひとびとにはそのことがわかっておらぬ。
衆僧集ってきて、その偈を聞いた。
まるで、自分がミロク菩薩(の分身)である、とでも言うような・・・
と、
偈畢、安然而化。
偈畢わりて、安然として化せり。
その偈を唱え終わると、そのまま安らかに息を引き取っていたのであった。
ああ、なむなむ。
ところが、その後、他の地で、
見師亦負布袋而行。於是四衆競図其像。
師を見るにまた布袋を負うて行けり。是こにおいて四衆、競いてその像を図す。
布袋和尚が布袋を荷って行くのを見かけたというひとが続出した。そこで、僧・尼僧、在俗仏教信者・女性信者(以上が「四衆」)らは、競って和尚の額狭くハラの出た画像を作って拝んだのであった。
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これだけ丁寧に教えても、おまえさんらは相も変わらぬ毎日を過しているのかナ?
ちなみに、この拝んだ画像がニホンに渡ってきて、長い間にほかの仲間を加えて七福神(六〜八となることもあること、諸星大二郎大人「六福神」を参照のこと)となったのである。