平成21年 7月17日(金)  目次へ  昨日に戻る

↑今日もムシムシと暑い日本の夏だ。アムール虎の黄虎老人は辟易しておられるぞ。

・・・なので、今日も日本のやつです。良寛和尚曰、

十字街頭一布袋、  十字街頭の一布袋、

放去拈来凡幾年。  放ち去り拈(ひね)り来たること凡そ幾年ぞ。

無限風流無人買、  無限の風流ひとの買う無く、

帰去来、        帰り去らん、

兜史天。        兜史天へ。

街の四辻に立って、布袋和尚のように乞食する。

(心を)好き放題にしてみたり、ひっつかまえて閉じ込めてみたり、いったい何年こんなことをやっているのか。

窮まりないわしの自由な心だが、誰かが買ってくださるわけでも無いですでのう、

そろそろ行かせてもらいますよ。

本来の郷里たる天上界、弥勒菩薩のおわします兜率天へ。

というのである。

「よう言うたぞ、良寛」

「よし、わしも新潟行って、そこからあちら側に行くか」

と思わせる詩ではないか。

ちなみに、布袋和尚は現代ニホン人には「七福神の一」という認識が強いと思われますが、本来はシナの唐末〜五代の実在の坊主である。

「伝灯録」巻二十七に曰く、

布袋和尚なる者は、自から名を称して契此(せっし)という。その姿は猥雑でぐにゃぐにゃ、額は狭くハラは出ていた。

出語無定、寝臥随所、常以杖荷一布嚢。

語を出だすに無定、寝臥するに随所、常に杖を以て一布嚢を荷う。

その言うことは何だかわからず、どこでも寝るし、どこにでもごろごろする。いつも一本の杖を担いでいて、それに布の袋を引っ掛けていた。

身の回りの道具はすべてこの布袋の中に入れていたのである。

彼には前知の能力があり、

示人吉凶、必応期無忒。

人に吉凶を示すに必ず期に応じて忒(たが)う無し。

ひとに未来のよき事・悪しき事を告げた。そのこと、予言された時期が来ると必ず当たり、間違うことは無かった。

梁の貞明三年(917)に至り、

於嶽林寺東廓下、端坐磐石、而説偈。

嶽林寺の東廓下にて、磐石に端坐して、偈を説く。

明州・奉化県の嶽林寺の東の建物の軒下で、平たい石にきちんと座って、教えを歌にして歌っていた。

曰く、

弥勒真弥勒、  弥勒、真弥勒、

分身千百億、  身を分かつこと千百億、

時時示時人、  時時に時人に示すも、

時人自不識。  時人自ら識らざるなり。

(未来に地上に現われるべく今は天上の兜率天におられるとされる)弥勒菩薩よ。本当の弥勒菩薩よ。

 分身して千百億の姿をとり、

 あらゆる時代にあらゆるひとの前に現われているのだが、

 ひとびとにはそのことがわかっておらぬ。

衆僧集ってきて、その偈を聞いた。

まるで、自分がミロク菩薩(の分身)である、とでも言うような・・・

と、

偈畢、安然而化。

偈畢わりて、安然として化せり。

その偈を唱え終わると、そのまま安らかに息を引き取っていたのであった。

ああ、なむなむ。

ところが、その後、他の地で、

見師亦負布袋而行。於是四衆競図其像。

師を見るにまた布袋を負うて行けり。是こにおいて四衆、競いてその像を図す。

布袋和尚が布袋を荷って行くのを見かけたというひとが続出した。そこで、僧・尼僧、在俗仏教信者・女性信者(以上が「四衆」)らは、競って和尚の額狭くハラの出た画像を作って拝んだのであった。

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これだけ丁寧に教えても、おまえさんらは相も変わらぬ毎日を過しているのかナ?

ちなみに、この拝んだ画像がニホンに渡ってきて、長い間にほかの仲間を加えて七福神(六〜八となることもあること、諸星大二郎大人「六福神」を参照のこと)となったのである。

 

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