清・王阮亭「池北偶談」巻二十より「啖石」
・・・わが家に雇われていた王嘉禄という男は変わり者で、口数も少なかった。
彼はまだ少年のころ、事情があって山中に一人で隠れ住んでいたのだが、そのような暮らしが数年になり、
遂絶煙火。
遂に煙火を絶す。
とうとう煮炊きすべき食料も尽きてしまった。
そこで、
惟啖石為飯、渇即飲渓澗中水。
ただ石をくらいて飯と為し、渇すれば即ち渓澗中の水を飲むのみ。
石を飯とし、のどが渇けば谷間の水を飲む、という食生活となった。
しばらくそういう生活をしていると、
遍身毛生寸許。
遍身に毛、寸ばかりを生ず。
体中に一寸ほどの長さの毛が生えた。
という状態になった。
その後、母が老いたと聞いたので家に帰り、普通に煮炊きした食事をするようになって、体中の毛は脱落してしまったのだという。
それでもわたくしの家に雇われて来ていたころも、
時時以石為飯。毎取一石、映日視之、即知其味甘鹹辛苦。
時々に石を以て飯と為す。一石を取るごとに、日に映じてこれを視、即ちその味の甘・鹹・辛・苦を知れり。
ときおり石をメシにして食っていた。また、石を一個取り上げるごとに、これを日の光にかざして見つめ、
「これは甘い」
とか
「これは塩からい」「ぴりりと辛い」「苦い」
などと見分けていた。
石が食べられるほどであるので、
以巨桶盛水掛歯上、盤旋如風。
巨桶を以て水を盛りて歯上に掛け、盤旋すること風の如し。
大きな桶に水をなみなみと入れて、これを歯で咥え、ぐるんぐるんと振り廻すことができ、その速さは風のようであった。
というぐらい歯が丈夫だったのであった。
後母終、不知所往。
後に母の終わるに、往くところを知らず。
その後母親が亡くなると、彼はどこかに行ってしまって、その行方は杳として知られない。
―――これはすばらしいので、みなさんも真似をするように。