平成21年12月2日(水)  目次へ  前回に戻る

魏の文侯(前446〜397)が郊外に出かけたとき、毛皮の服(「裘」)を裏表逆にして、ワラ束を担いでいるひとを見かけた。

普通、裘は、毛のある方を表にし、毛の無い方を裏にして着るものなのである。そのひとは毛のある方を裏にして、毛の無い方を表にして着込んでいたのだ。

文侯、

「おまえはどうして裘を裏表逆にして着ているのか」

と問うた。

そのひと曰く、

臣愛其毛。

臣はその毛を愛す。

わしめは皮衣についている毛を大切にしているのでございます。

毛が無くなったら「毛」皮では無くなってしまいますからね。担いだワラ束で毛が台無しになってしまうのを嫌がったのだというのだ。

賢いひとではないか。

しかし文侯、言う、

若不知其裡尽而毛無所恃邪。

なんじ、その裡尽くれば毛の恃むところ無きを知らざるか。

おまえは、裏地が無くなってしまったら大切な毛が付着するものが無くなってしまうのに気づいていないのか。

と。

そうか。皮が無くなったら毛「皮」では無くなってしまいますからね。なるほどなあ。文侯は賢いひとだなあ。それに引き換え、毛皮を着ていたひとは愚か者ですね。

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これは「説苑」などを撰んだ漢の劉向「新序」雑事二巻に採られているお話です。魏の文侯は、春秋時代の末に晋の国を三分割して漢・魏・趙の三国ができた(普通このことを「戦国時代」の始まりとする)ときの魏の初代の侯で、知恵者であったとされており、「魏文侯書」という著述が存在した(現在は散逸)そうである。

・・・ちなみに、心配になってきたので、ほんとにほんとに念のために言っておきますけど、この「寓話」は、表面にあるよいもの(たとえば「個人のしあわせ」)、というのは、根っこにある別のもの(たとえば「共同体の繁栄」)、のおかげで存在し得ることがあるので、表面の何かを大切にするあまり根っこの別のものを粗末にすると悪い結果を招きますよ、という意味であって、物を大切にしようとかひとと違ったことをするなとかそういうのではありませんので念のため。

 

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