むかしむかしのことでございます。
斉の荘公(在位:紀元前553〜548)が莒の国を伐とうとして、
五乗の賓
というものを選んだ。これは、特にぴかぴかのかっこいい馬車を五台用意し、それぞれにとっておきの勇士を乗せる、その五人の勇士のことである。
たいへん尊重されるので、部下ではあるが「賓」(お客人)という扱いになるのだ。
この五乗の賓を選ぶに当って、斉の勇士である杞梁(きりょう)と、その友人で好敵手と自認する華舟(かしゅう)、の二人が洩れてしまった。二人は家に帰ったが、落ち込んでメシも食えない状態である。
それぞれの母が二人にそれぞれ言うた。
汝生而無義、死而無名、則雖非五乗、孰不汝笑也。汝生而有義、死而有名則五乗之賓尽汝下也。
汝、生きて義無く、死して名無ければ、五乗にあらずといえどもだれか汝を笑わざらんや。汝、生きて義有り、死して名有れば、五乗の賓もことごとく汝の下ならん。
おまえが生きて為すべきこともせず、死んで名を成さないのであれば、五乗の賓の方はもとよりそれ以下の方々も、みなおまえを嘲笑うことであろう。おまえが生きて為すべきことをし、死んで名を成すのであれば、五乗の賓のみなさまも、みなおまえ以下の人間ということになるだろうよ。
「さあ、はやく行って為すべきことし、名を成しておいで」
と言うて、母たちは二人にメシをたらふく食わせ、出発させたのであった。
そこで、杞梁と華舟は一台の車に乗り、公の軍に加わって、莒の国との国境まで来た。
すると、莒の軍が待ち受けていました。
戦闘となります。
二人は車から下りると、白兵戦に加わり、二人で
獲甲首三百。
甲首三百を獲たり。
かぶとをかぶった敵人を三百人倒し、その首を獲た。
鬼神のごとき働きである。ために莒の軍は総崩れとなった。二人はさらにその軍を追おうとした。これを見て荘公が大音声に呼ばわった。
子止、与子同斉国。
子止まれ、子と斉国を同(とも)にせん。
おまえたち、深追いするな。(これ以上は危険だ。おまえたちの手柄に対して高い地位を与えようと思う。)斉の国をともに治めようではないか。
杞梁と華舟は血刀引っさげたまま振り向いて、言うた。
「我が君よ。あんたが五乗の賓を選んで、わしら二人を外した。これはわしら二人には勇が少ないと考えたのでござろう。今、敵が目の前にいるのに、高い地位を餌にしてわしらを止めよう、というのは、わしらの行動を汚そうとすることですぞ。
深入多殺、臣之事也。斉国之利、非吾所知也。
深く入りて多く殺すは、臣の事なり。斉国の利は、吾が知るところにあらざるなり。
敵の中に深く入って多くの敵兵を殺すのは、わしらのやりたいことでござる。しかし、斉の国を治めて利益を得るかどうかということはわしらの知りたいことではないのじゃ。
ひいっひっひっひっひっひ・・・」
二人はさらに進撃を続けたのであった。・・・・・(続く)
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漢・劉向「説苑」巻四・立節篇より。
二人はどうなるのでしょうかねえ・・・と言ってはみたものの、もとよりみなさんはカシコいから既にご承知のことではございましょう。
ただ、吉田松陰が
(杞梁・華舟の)二人の事、固(もと)より中道に非ざれ共(ども)、頗る皇国の武士の意気あり。往きて一見し、怯懦無恥の者を励ますべし。
二人の行動は、どう考えてもまともなひとのやることではない、とは思うのですが、我がすめらみ国のますらをの持つべき意気というものがたいへん見られると思うんです。見たことの無いひとは一度斉の国まで行って二人を見てきてください。そうすると、気弱でぐずぐずし、恥というものを知らないような卑怯者の方も、二人のようにがんばらねばならん、と励まされること畢竟でございます。(「講孟箚記」巻の四上・第六章)
と言うているので、「怯懦無恥」のわたくしは一度読んでみようと思ったまでである。みなさんは勇猛で羞恥心も強いから読まなくていいのでしょうけどね。