平成21年10月14日(水)  目次へ  前回に戻る

昨日の続き・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ひいっひっひっひっひっひ・・・」

「ひゃっはっはっはっはっは・・・」

杞梁(きりょう)と華舟(かしゅう)はさらに前進した。

その勢いに、莒の軍は正面から抵抗することもできずずるずると敗退して行き、二人はついに莒の町の城下(城壁の外)に到達した。

莒のひとびとは城門の外に、

以炭置地。

炭を以て地に置く。

真っ赤に燃えた木炭を敷き詰めて、二人の前進を阻もうとした。

「こ、これは・・・」

二人は立ち止まった。

「むう。ここを越えようとしたら体が燃えてしまうであろう」

炭の帯は幅数丈あり、飛び越えることはかなわぬ。

「途中に足を休める場所があれば駆け抜けることができるかも知れぬが・・・」

二人立有間、不能入。

二人立つこと間有るも、入ることあたわず。

二人は炭の手前で立ち止まり、しばらく思案したがどうしてもそこから入っていくことができぬ。

城内ではこの間に体勢を立て直そうとし、投石器や弩弓などの用意を始めている。一刻の猶予もならぬのだ。

と、二人の背後から

「がっはっはっはっはっは・・・」

と笑い声が聞こえた。

二人の右(ゆう※)であった隰侯重(しゅうこうじゅう)という男がようやく追いついてきたのである。

※「右」とは、戦車に三人の兵が乗るとき、右側に乗って車を操る兵を言う。残りの二人が戦闘員となり、「右」はこの二人よりは地位が低いものとされるのである。

隰侯重は二人に追いつくと、激しく肩で息をしながら、

吾聞、古之士犯患渉難者、其去遂於物也。来、吾踰子。

吾聞く、いにしえの士にして患を犯し難を渉(わた)る者は、其の去(ゆ)くや物において遂ぐるなり、と。来たれ、吾、子を踰(こ)えしめん。

「わしは聞いておりますぞ。

古風なさむらいは、つらいことを無理に行い困難を乗り越えようとして、心を決めて行動すれば必ずやり遂げるものだ、と。

さあ来なされ、わしはおまえさんたちを炭火の向こう側に渡してさしあげますぞ。」

と言うなり、ごうごうと燃える炭の帯の中に足を踏み入れたのであった。

すぐに「しゅう」と煙のようなものが彼の足元から昇りはじめる。彼の生身の足が燃え、水分を蒸発させているのだ。

隰侯重はよろめき、しかし、

「ま、まだじゃ・・・」

と踏みこたえ、楯を杖がわりに体を支えてさらに数歩進むと、

「こ、ここでよかろう・・・」

と、憤怒のごときすさまじい目で二人を振り向く。そして足先から煙を上げながら、

「さあ勇士たちよ、わしの体を踏み台にして、あちら側へ行きなされい!」

と叫んだ――やいなや、前のめりに倒れるように、その場の炭火の上にうつ伏せに横たわったのである。

――しゅうううううううう・・・・

隰侯重は激しく水蒸気を上げながら燃えて行く。

「かたじけなし!」

二人乗而入、顧而哭之。

二人乗じて入り、顧てこれを哭す。

二人は助走をつけて飛び、隰侯重の背中を踏み、次の一歩で炭の帯の向こう側に到達して、振り向いて隰侯重のために声を上げて泣いた。

隰侯重の体はもう半分以上焦げて真っ黒になっていたが、二人目が踏んだとき腰骨が砕け、軟らかくなった内臓が飛び出して炭火の上に広がり、それもまた水蒸気を上げながら焦げて行きつつある。

「さあ、行くぞ」

杞梁が城門に向かおうとして、まだ哭している華舟に、

「どうした、華舟、おぬし、臆したか」

と声をかけるに、華舟、にやりと不適に笑うて、

「臆するものか、われら二人と同じほどの勇者が一人、まず死んだのを悲しんでいたのじゃ」

と応じると、杞梁また莞爾と笑い、

「この男に嘲笑されぬように働こうぞ」

と言うのであった。

ここにおいて二人、顔を見合わせると、

「えやーーーーー!」

雄たけび上げて城門に駆け寄り、固く閉ざされた扉に同時に血刀で斬りつけると、その斬撃あまりに激しく、一撃で扉が割れた。

「ま、待たれい!」

城門の上から莒国のひと言う、

子毋死、与子同莒国。

子、死するなかれ、子と莒国を同じくせん。

勇士よ、死に急ぐな。おまえたちの武勇はよくわかった。この国の君としてお迎えしたい。

二人、答えて曰く、

「祖国を棄てて敵国に寝返るのは忠臣のやることではない。自らの君主のもとを去って別のものから褒美をもらうのは正しい行いではない。また、

鶏鳴而期、日中而忘之、非信也。

鶏鳴に期し、日中にしてこれを忘るるは信にあらざるなり。

鶏の鳴く朝方に約束したことを昼に忘れてしまうのでは、信の無いことと言われざるをえない。

とにかく、

深入多殺者、臣之事也。莒国之利、非吾所知也。

深く入りて多く殺すは、臣の事なり。莒国の利は、吾が知るところにあらざるなり。

敵の中に深く入って多くの敵兵を殺すのは、わしらのやりたいことでござる。しかし、莒の国を治めて利益を得るかどうかということはわしらの知りたいことではないのじゃ。

ひいっひっひっひっひっひ・・・」

二人は突入し、自らの故郷を守ろうと死戦する莒の勇士を二十七人まで斬り倒したところで、とうとう討ち死にしたのであった。

数日の後、斉の都・臨淄城に報せが届いて、討ち死にを聞いた二人の妻は声を上げて哭したのだが、その声あまりに哀切であったため、

城為之陁、而隅為之崩。

城これがために陁(くず)れ、隅これがために崩る。

城壁の一部が壊れ、城壁の角は崩壊した。

そうである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上、「説苑」巻四・立節篇より。著者の劉向は最後の二人の妻の哭き声で城が崩れたことを言うたあと、

此、非所以起也。

これ、起こす所以にあらざるなり。

これは(女々しい話であって)、二人の後に続こうという勇士たちの心を奮い立たせるようなことではないね。

と批判している。

戦国日本や古代ギリシアのテーベ神聖部隊の例を引くまでもなく、戦さ人の世界は衆道とか同性愛なので、オンナの入り込む余地はないのだ。・・・ということであろうか。(怯懦無恥のわたくしはちょっとそういう趣味ありませんけど)

ちなみにこの事件、「春秋」には

斉侯襲莒。(斉侯、莒を襲う。)

として、襄公二十三年(紀元前550)の冬に掲げられております。

この条の「左氏伝」の解説によれば、「五乗の賓」の話などは全くございませんが、この戦いの際に、

●斉の杞殖(梁)と華還(周)の二人に莒の君主が贈り物を提供したのだが、二人はこれを断ったこと、

●このとき華周が

貪貨棄命、亦君所悪也。昏而受命、日未中而棄之、何以事君。

貨を貪りて命を棄つるはまた君の悪むところなり。昏にして命を受け、日いまだ中せざるにこれを棄つれば、何を以て君に事(つか)えん。

贈り物を欲しがって命令を放り出すのは、わが主君のお怒りになるところである(あなたもそうではないか)。夕方に命令を受け、次の日の昼前にはもうそれを放棄するというのでは、これから先どうやって主君に仕えることができようか(あなたも雇ってはくれますまい)。

と答えたこと、

●莒の君(莒子)は自ら軍鼓を打って斉軍を迎え撃ち、杞梁を討ち取ったこと、

●斉の荘公が帰国し、郊外まで夫の棺を出迎えに来た杞梁の妻に悔やみを告げると、杞梁の妻は郊外で悔やみを言うのは礼に失する旨を婉曲に告げたので、荘公は再度杞梁の家まで出向いて弔問したこと、

など、「説苑」のお話に比較すれば、ずっと

有り得た事件

っぽく記録されているところである。

 

表紙へ  次へ