秋の寄せ鍋ゲーム用キャラクター「ぶたまる」。
今日は一件シゴトしたが明日からまたキツイ。残存思念波にとってはわずかなシゴトでもキツイというのに。
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ところで、以前は今日は「敬老の日」でした。そこですごい高齢のひとのお話をします。
明の時代、南京で有名だったのは、尹山人というひとである。
山人はチャイナ北部の出身だと自ら言っていたが、元の世祖フビライ=ハーンの時に、道士としての度牒(許可証)をもらったといい、
懐一牒、綴之羊皮、久而尚存。
一牒を懐にし、これを羊皮に綴りて、久しくしてなお存せり。
一枚の許可証をヒツジの皮に貼り付けて所持していた。ずいぶん古いもののようであった。
フビライ=ハーンといえば在位は1260年〜1294年であり、山人が南京に姿を現したのは成化年間(1465〜87)であるから、すごい年齢であったのは確か、と思われる。
山人は
髪累歳忘櫛而自不団結、南都人呼尹蓬頭云。
髪、累歳櫛けずるを忘れ、自ずから団結せず、南都人呼びて「尹蓬頭」と云えり。
髪は長い年月櫛を入れてないらしく、もうまとまるような状態ではなかった。南京っ子たちは彼を「ぼさぼさ頭の尹」と呼んでいた。
そういう人なんですが、どういう縁故か財産があるのか、
尹得邸寓。
尹、邸を得て寓せり。
尹は、家を持っていて、そこに住んでいた。
住んでいる、といっても普通に住んでいるのではなく、
輒閉関臥、多者踰月、少亦五六日而後起、居常不飯、人饋之食、亦不辞。
すなわち関を閉じて臥し、多きは踰月、少なきもまた五六日にして後起き、居常は飯せず、人これに食(し)を饋(おく)るに、また辞せず。
どうしているかというと、門を閉じてたいてい寝ている。長いときは一か月以上、短くても五六日は寝ていて、やっと起きてくるのであった。また、普段はごはんを食べない。ただし絶食とかしているのではなく、誰かが食べ物を贈ってくれると、断ることはなかった。
断らない、というレベルでさえなく、
嘗造一民家、会設餉客麺、近四十余碗。客有戯尹曰、公能尽噉之乎。
かつて一民家に造(いた)るに、客に麺を餉して、四十余碗に近きを設くるに会う。客、尹に戯る有りて曰く、「公、よくこれを噉らい尽すか」と。
あるとき、あるひとの家に行ったところ、ちょうどお客たちがきていて、彼らのために四十碗以上のラーメンが用意されているところに出会った。お客の一人が山人を見つけて、
「先生、これ全部食べられますか?」
とおふざけで訊ねた。
能。
能くす。
「当たり前じゃ」
客人が答えも何もしないうちに、
取而噉之尽、無留余也。
取りてこれを噉らい尽し、留余無し。
碗を手にして食べ始め、たちまちのうちに全部食べてしまって、残りは全く無かった。
など、いろいろ楽しいエピソードが遺されています。しかし、明日もシゴトなので今日はここまで。
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「客座贅語」巻八より。大食い系のお話は楽しくなっていいのですが、明日が過ぎても明後日もその次もまだシゴト。すべてを紹介できるのはいつになることやらのう。シゴトが憎いのう・・・ああ、だんだん思念が消えていく・・・