いつの間にか秋になっていた。
ついに超キツイ週がはじまった! 今日なんかほとんどなにもしてないのに精神的にはすごいきつかった。
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春秋の時代、晋の大臣・趙簡子は、大夫の壮馳玆(そうちし)に訊ねた。
東方之士、孰為愈。
東方の士、孰(た)れか愈(まさ)れると為す。
壮馳玆というひとはもと呉の出身、晋から見れば東方のひとです。
「東の方におまえさんより出来るやつなんて、いるんかね?」
「おお、なんと!」
壮馳玆拝。
壮馳玆、拝す。
壮馳玆は席から飛び上がり、趙簡子に向かって礼拝した。
そして、
敢賀。
敢て賀す。
「申し上げるまでもない事ではございますが、あえて申し上げます。おめでとうございまする」
「いやいや」
趙簡子はびっくりしながら言った、
未応吾問、何賀。
いまだ吾が問に応ぜずして、何をか賀せる。
「まだわしの質問に答えてもおらぬのに、何がめでたいというんじゃ?」
正月マンザイみたいで、めでたいやり取りですね。
壮馳玆は答えた。
臣聞之、国家之将興也、君子自以爲不足。其亡也、若有余。
臣これを聞く、国家のまさに興らんとするや、君子自ら以て足らずと為す。その亡ぶや、余り有るがごとし、と。
「やつがれめは、このようなことを聞いたことがございます。
―――国家が興ろうとするとき、その指導者たちは自分たちには足らないところがある、と考えている。滅亡しようとうるときは、余り有るほど持っている、と考えている。
と。
「逆」を取ればわかりやすいです。指導者が自分たちの力を過小評価しているときには国家が興起していくが、過大評価しはじめると滅んで行くのだ。
今主任晋国之政、而問及小人、又求賢人。吾是以賀。
今、主は晋国の政に任じて、問うこと小人に及び、また賢人を求む。吾、これを以て賀するなり。
今現在、とのさまは(宰相として)晋国の政治を担っておられます。そのような方が、わたしのようなつまらぬ者にもご質問をされ、そしてさらに賢者を探そうとしておられる。(自分には足らないところがあると思っておられるわけです。ならば、とのさまも晋国さらに栄えていくこと必定です。)なので、わたしは「おめでとうございます」と申し上げたのです」
「そ、そうか・・・」
趙簡子の答えは記録されておりません。
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「国語」巻十五・晋第九より。こういうのは巧言令色というんじゃないですか、と言いたくなりますが、壮馳玆は呉の賢者、趙簡子も賢大夫とされていますので、ここは巧言令色で持ち上げているのではなくて、趙簡子の軽いキモチのコトバを逆手にとって、ぎゅぎゅっと「諫言」をした、というエピソードと捉えなければいけないのだと思われます。
今日は自民党総裁もあったそうです。テレビ見てないので知らんけど。ぜひ、
国家のまさに興らんとするや、君子自ら以て足らずと為す。その亡ぶや、余り有るがごとし。
でお願いしたいものである。