うわーん、おいらは逆風に弱い風の精霊ジルフェ―。くしゃみが出そうでルフェー。
コロナに気を付けるため、三密を避ける、マスクをする、のほか、咳・くしゃみエチケットを守らないといけません。
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以前、揚州・廣陵の町に名医といわれる人がいて、
其門如市、即貴顕之家不軽造也。
その門市の如く、即ち貴顕の家といえども軽がるしくは造(いた)らざるなり。
その人の家の門前は、市場のようにたくさんの人が集まって、診察を待っているほどで、身分の高い方や有名なひとが往診を頼んでも、なかなか来てくれないのであった。
たまたま廣陵府の知事の家で病人が出たので、人の紹介もあって医師が(いやいやながら)呼び出されてきた。
正堂の前で知事さまにご挨拶するために待っているとき、
此医適作嚏両三声。
この医、嚏(てい)両三声を適作す。
この医者は、そのときちょうど二回、三回とくしゃみをした。
知事がこれを聞きつけまして、
何為而嚏。
何すれぞ嚏するや。
「どうしてくしゃみをしたのじゃ?」
と訊ねた。
医師曰く、
外人有念医士者。
外人、医士を念う者有らん。
「どこかで誰かがわたしのことを(早く戻ってきて診察しろ、と)思っているのでしょう」
この忙しいのに、という皮肉も効かせたのでしょうが、知事さまはふふんと笑って、おっしゃった、
嚏乃肺家中風耳、而云外人相念、則嚏為肺病且不暁、何名曰医。
嚏はすなわち肺家中の風のみ、しかるに外人相念と云う、すなわち嚏は肺病たることすら暁(あきら)かならず、何ぞ名づけて医と曰わんや。
「くしゃみは肺の中から出て来る風(空気)でしかないのじゃぞ。それなのにそれを「どこかで誰かが思っている」などと言うとは・・・。くしゃみが肺の病いであることさえ理解していない者がどうして医師などと名乗れるのか」
そして、
遂叱之去、此医退。
遂にこれを叱して去らしめ、この医退けり。
とうとう医師を叱り飛ばして追い出したので、医師はこれ幸いと退出してしまった。
のだそうですが、ところで、この知事は、
雖知嚏為肺病、而不知人相念則嚏、則古語也。
嚏の肺の病いたるを知るといえども、人の相念えばすなわち嚏すること、すなわち古語なることを知らざるなり。
くしゃみが肺の疾患であることは知っていたようだが、一方で、誰かがその人のことを思っていると、その人がくしゃみするということが、いにしえより伝えられてきたことだということは知らなかったようである。
「詩経」の邶風「終風」の詩に、
寤言不寐、 寤(さ)めては言(ここ)に寐(いね)られず、
願言則嚏。 願(おも)いては言(ここ)にすなわち嚏(てい)す。
夜中に目がさめると、もう眠れない。
(あんたがあたしのことを思っていることを)考えると、「嚏」が出る。
とあって、漢の鄭玄の古い注釈に、
女思我心如是、我則嚏也。
女(なんじ)我が心を思うこと是(か)くの如れば、我すなわち嚏すなり。
あんたがわたしのキモチをこんなふうにいろいろぐちゃぐちゃ思っているから、わたしは嚏(てい)したのよ。
ということだ、とある。これに気づかなかったのであろう。
※なお、この詩は男が女を粗末に扱うので女が怨む詩、ということに古くからなってしますので、「思っている」内容は、心配しているとか愛しているとかそういういい感情では決してありません。そこで「ぐちゃぐちゃ」と訳しました。
※なおなお、実はこの詩にいう「嚏」を「くしゃみ」の意味に解しているのは朱晦庵の注で、古い注釈は基本的に「嚏」とは「気がふさがってウツウツすること」と解していますので、念のため。
そんな昔のことだけでなく、宋の王易の「燕北録」(「北の燕地方(遼の国)に出張したときの記録」)によれば、
契丹俗、戎主及太后噴嚏、近位番漢臣僚斉道沿夔離。華言万歳也。
契丹の俗、戎主及び太后の噴嚏すれば、近位の番漢の臣僚、斉(ひと)しく「沿夔離」(えんきり)と道(い)う。華言の「万歳」なり。
キッタン(遼国)の風俗では、えびすの君主(←遼帝のことをこういっている)や皇后がくしゃみをすると、近くに侍る蛮人・漢人の臣下たちはみな、「えんきりー」と唱える。これは、チャイナ語の「ばんざい」(幾久しく)に該たるコトバである。
ゲンダイ(明の時代)でも、
嶺外人噴嚏、亦或呼曰大吉利市者、即此意。
嶺外人噴嚏するに、また或いは呼びて「大吉、市に利す」と曰うは、即ちこの意なり。
南嶺山脈以南の広州地方のひとたちがくしゃみをすると、(自分で、または周りのひとが)「大吉にして商売繁盛」と唱えるのは、まったく同じことである。
さて、「漢書」の「藝文志」を閲するに、
有「噴嚏耳鳴」十六巻。則嚏者古人亦以吉凶有相関者。今、噴嚏耳鳴書已亡、想有可観者。
「噴嚏・耳鳴」十六巻有り。すなわち嚏なるものの古人また吉凶に相関有るものを以てせり。今、「噴嚏・耳鳴」の書すでに亡きも、想いて観るべきもの有り。
「くしゃみと耳鳴り」という十六巻の書物があった、と記録されている。つまり、くしゃみについては、いにしえの人々はそれが幸運や不運に関わるものだ、と考えていたのであろう。今となっては「くしゃみと耳鳴り」の書はすでに散佚してしまって読むことができないが、どんな内容であったか想像してみることができるのではないだろうか。
以上、考証終わり。
勉強になりまちた。「くしゃみと耳鳴り」の解説(「雑占」の項目にあるので、占いの本であったらしいです)だけで十六巻も内容があったとは、なかなかやりまちゅな。
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明・張萱「疑耀」巻二より。こういう「考証」はオモシロくてしようがありません。読んでるだけでこんなにワクワクするのですから、調べてるやつはホントに楽しかっただろうなあ、と想像します。ああ、おいら肝冷童子も早くオトナになって、会社なんかの束縛から逃れて、こんなことばかり勉強していたいなあ。