令和2年7月24日(金)  目次へ  前回に戻る

現世から逃げたやつを追いかけてシゴトさせるのは寝ているやつを起こすぐらいひどいことである。特に「いい夢みている夢」をみているようなやつを起こすと強く怒ってくる。

スポーツの日も海の日も終わり、もはやふつうの週末に! 人生自粛しているのに、コロナ以降も職業生活だけは何も生活が変わらないような気がします。

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自粛している者に無理にシゴトをさせてはいけません。

古者逐奔不過百歩、縦綏不過三舎。是以明其礼也。

古(いにし)えは、奔するを逐うも百歩に過ぎず、綏(しりぞ)くに縦(したが)うも三舎に過ぎず。これ以てその礼を明らかにするなり。

むかしは、会戦において潰走した敵を追撃するのは、百歩(135メートル)まで、にしていました。退却する敵を追って行動を監視するのは、三舎(54キロメートル。一舎=三十里≒18キロ)まで、にしていました。これによって、礼(きまり)が必要であることを明確にし、平時にも守るようにさせたのです。

逃げるやつを追いかけてはいけませんよね。

軍を編成したときには、

不窮不能而哀憐傷病。是以明其仁也。

不能を窮めず、傷病を哀憐す。これ以てその仁を明らかにするなり。

できないやつにやらせようとはせず、ケガや病気をしたやつを憐れんで処遇した。これによって、仁(思いやり)が必要であることを明確にし、平時にもそれを大切にするようにさせたのです。

すばらしい。

戦いに当たっては、

成列而鼓。是以明其信也。

列を成して鼓す。これ以てその信を明らかにするなり。

これには二説あります。

@  部隊が列を作ってから、進撃の太鼓を鳴らす(。部隊の準備ができていないときには進撃させない)。これによって、お互いの信頼が必要であることを明確にし、平時にもそうするように認識しあったのである。

A  敵の部隊が列を作ってから、こちらの進撃の太鼓を鳴らす(。敵の準備ができていないうちは戦闘をはじめない)。これによって、お互いが守るルールがあることを明確にし、平時にもそうするように認識しあったのである。

どちらでも通りますが、平時に応用する、という発想からは、@の方がいいように思います。

軍を起こすにも、

争義不争利。是以明其義也。

義を争いて利を争わず。これ以てその義を明らかにするなり。

道義の争いが戦争目的であり、利益の争いではなかった。これによって、正義や道義が無ければならないことを明確にし、平時にもそのように行動するようにさせたのである。

又能舎服。是以明其勇也。

また、よく服するを舎(お)く。これ以てその勇を明らかにするなり。

また、降伏した者は寛大に取り扱った。これによって、勇者を尊重し、勇気を持つことが必要であることを明確にし、平時にも同様にするよう教えたのである。

そして、

知終知始。是以明其智也。

終わりを知り始めを知る。これ以てその智を明らかにするなり。

いつも戦争をどうやって終結させるかを考えさせ、また、もともと何が戦争の原因であったか(それを除去できれば戦争を止める必要がある)を認識させた。これによって、人間の行動が知性によって支配されていなければならないことを明確にし、平時にもそのように考えさせたのである。

礼・仁・信・義・勇・智の六つの徳目について、

以時合教、以爲民紀之道也。自古之政也。

時を以て合わせ教え、以て民紀の道と為すなり。いにしえよりの政(まつりごと)なり。

季節ごとに行う軍事訓練の際に合わせて教える。それによって人民たちを(平時においても)規制する、というやり方であった。これが古代よりの政治の手法なのである。

軍事を通じて平時にも適用される徳目を教えた、というわけです。

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「司馬法」仁本第一より。わしのように現世から奔走している者を追いかけて、「シゴトをしろ」とシゴトをさせてはいけません。もう放っておいて消えていくのを待てばいいのに・・・。

「司馬法」は、いにしえより兵法七書中、最も儒者の道に近いとして高く評価される書です。伝説では春秋の斉の国で、賢宰相・晏嬰(「晏氏春秋」にいつも出てくる晏嬰さまです)が景公(在位前547〜前490)に推薦し、大司馬としたのが司馬穣苴(しば・じょうしょ)で、そのひとの著とされますが、うそです。しかし、「漢書」藝文志にすでに「軍礼司馬子」という書目があるので、そのころにはこういう本があったらしい。今遺るのはそのうちのごく一部分だということです。

 

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