令和2年5月26日(火)  目次へ  前回に戻る

おれだって三条の姫様にだったらまごころこめてお仕えするかもよ。へへへ。

普通の日々になってきました。ムシムシ・ウツウツの初夏の一日であった。明日も明後日も平日が続く・・・。

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みなさんはこんなことを言ってはいけませんよ。あまりにも危険であるゆえに。

春秋・斉の景公(在位前547〜前490)が宰相の晏嬰に問うた、

忠臣之事君也何若。

忠臣の君に事(つか)うるや、いかなるぞ。

「まごころの臣が、主君に仕えるやり方とは、どういうものなのじゃ?」

晏嬰さまは答えて言った、

有難不死、出亡不送。

難有りて死せず、出亡するに送らず。

「(反乱や敗戦など主君が死にそうな)難事があってもそのために死ぬことはなく、(主君が)亡命して国を出ていくことになっても見送りに行かない(、それがまごころの臣のやり方ですな)」

「むむむ」

公不悦曰君裂地而封之、疏爵而貴之、君有難不死、出亡不送、可謂忠乎。

公悦ばずして曰く、「君地を裂きてこれを封じ、爵を疏(わか)ちてこれを貴ぶに、君に難有れども死せず、出亡すれども送らざるは忠と謂うべけんや」と。

景公は、むすー、として言いました、

「主君が領土の一部を割いて領地として与え、また豪華なさかずきを渡し(爵位を与え)て貴族にしてくれているのに、主君が死にそうな難事には死ぬことなく、亡命して出国するときには見送りにも行かない、それでまごころがあるなどと言えるのかのう」

晏嬰さまは言いました、

言而見用、終身無難、臣奚死焉。謀而見従、終身不出、臣奚送焉。若言不用、有難而死之、是妄死也。謀而不従、出亡而送之、是詐欺也。

言いて用いらるれば身を終うるまで難無く、臣奚(なん)ぞ死せんや。謀りて従わるれば身を終うるまで出でず、臣奚ぞ送らんや。もし言いて用いられずして難有りてこれに死するは、これ妄りに死するなり。謀りて従われざるに出亡してこれを送るは、これ詐り欺くなり。

「(臣下が)諫言して、そのコトバを(主君が)受け容れて対応していれば、主君は死ぬまで難事に出会うことはございませんから、臣はどうやって難事に死ぬことができましょうか。(臣下が)策を考えて、その策に(主君)が従っていれば、主君は死ぬまで亡命するようなことにはなりませんから、臣はどうやって亡命を見送りに行くことができましょうか。

もし、諫言したのに対応してくれずに難事が起こってそのために死んだのでは、これは「思いもかけずに死んだ」ことになります。策を考えたのに対応してくれず主君が亡命する羽目に陥って、それでも見送りに行くなら、「いつわり・あざむき」というべきでしょう。

ということですから、

忠臣也者、能納善於君、不能与君陥於難。

忠臣なるものは、よく善を君に納れ、君とともに難に陥いるあたわざるなり。

まごころの臣というのは、主君に善いことをどんどん申し上げて採用して(無事に過ごして)もらい(、互いにハッピーになるひとであり)、主君と一緒に難事に陥ってしまうことはあり得ないのです」

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「晏氏春秋」巻二・問上篇より。古来有名な一章ですが、いつ聞いても立派なコトバだなあ。人の上に立つようなひとはこのコトバを聞いて、「まごころの臣のコトバは聞き容れねばならんなあ」と思うはずですなあ。しかし、みなさんは言ってはいけませんよ。

 

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